3年に1度開催されている瀬戸内国際芸術祭は、2016年に第3回を迎えた。年間を通してさまざまな試みが行われ、新たな取り組みが生まれている。それを媒介するのが「旅」である。
人々は、他の場所にはないユニークなものに惹かれ、そこでしか味わえない固有の体験、五感の開放を求めて旅に出る。「旅」の先にあるのは、人と人とのフェイス・トゥ・フェイスの関係だ。人と人とが交わることで、どのような活力が生まれ、瀬戸内国際芸術祭は、それらの声にどう応えようとしているのだろう。
■人と直接出会い、食を通して土地を知る
ーー旅をする人たちの中には、どのような感情が湧き上がっているのでしょうか。
現代の価値観では、最大の情報に最短でアクセスする能力が問われています。行政も民間でも、情報処理能力の高さが優秀な人たちの定義です。彼らはそこにどっぷり浸かって昇進し、稼いでいるにもかかわらず、そのIT空間は嘘のものだと知っていて、フェイス・トゥ・フェイスの関係にしか真実はないと思っている。現在、世界的なグローバリゼーションの波がバーチャルになっているのに対し、本物のグローバリゼーションというのは、自分が移動することで生まれるフェイス・トゥ・フェイスの関係にしかないことに気付いているんですね。そういう人ほど、旅をしたがり、移動を求めている。
ーー今回の芸術祭では、とりわけ「食」をテーマとして全面的に押し出されていますね。
土地を知るには食が一番です。地元の食材を使い、島のお母さんたちがつくる料理は、世界一です。例えば、春になると瀬戸内海ではサワラが多く獲れる。東京では鮮度が落ちるから西京漬くらいしか馴染みがないかもしれませんが、瀬戸内海ではタタキで出してくれる。これがメチャメチャ美味しい。瀬戸内にはサワラの季節、押し寿司をつくって嫁さんに持たせて里帰りさせる風習があります。「こんなに美味いものを食べているなら、きっと嫁ぎ先でも幸せにやっているだろう」と実家の両親が納得するほど、地元の人がつくる旬のサワラのタタキや押し寿司は絶品です。それをみなさんにもできるだけ食べてもらいたい。
けれども、普段はなかなか食べに来る人が少ないから、島にレストランはほとんどない。前回の芸術祭に来られた方々の多くが、コンビニでおにぎりを買って食べていた。その反省として、せめて芸術祭の会期中はちゃんと食べてもらえるよう、一生懸命準備をしようと思ったわけです。
豊島で展開する「島キッチン」では、地元のお母さんたちも働いている
■人もアートも、それぞれみんな違う面白さ
ーー都市と地域は呼応し、交換し合うことがこの時代、大切であると聞きます。
僕が一番感動したエピソードは、浜辺から作品までの道の途中に住む人が、芸術祭が開幕して3~4日目ぐらいから、発泡スチロールの箱に水をためて、家の前でジュースを売り始めた。「おかあちゃん、何やっているの?」と家族が聞いたら、「島に来る人たちをずっと見ていた。でも、見ているだけではつまらない。何か売れば、おしゃべりできるかもしれない」と考えたと。そのジュースの仕入れ先は、10メートル先の自動販売機。そこで140円で買って冷やして140円で売っている(笑)。
普段、島に人は来ませんから、珍しいわけです。この話を聞いて、「いろいろな人を見てみたい」「話したい」というのが、島の人たちにとっての一番の喜びだと感じました。昔の街道筋もお遍路も、それが楽しみだった。もっと理屈っぽくいえば、地球上には73億人の違う人が生きていて、人それぞれみんな違うという面白さを本能が求める。アートの素晴らしさは、みんなが違っていいところ。人と違っていいことが唯一認められる領域。だから僕はディレクターとして、なるべく違うアートを選びたいと思っている。人間国宝級のすごいものがあっていいし、素人の作品もあってもいい。そういう多様さが、美術の最大の面白さだと思うし、都市と地域の交換の根拠だと思います。
ーー作品にもその影響は現れているのでしょうか。
普段はシリアスなテーマで活動しているアーティストも、おばちゃんたちに、「にいちゃん、がんばれ」と、肩やお尻をたたかれると、作品が明るくなります。それは美術のもっている祝祭性が、島(土地)とのかかわりの中で引き出されるからでしょう。クリスチャン・ボルタンスキーのシリアスな作品、例えば豊島にある《心臓音のアーカイブ》にしたって、海に開けていく感じがしませんか?
■瀬戸内海を希望の海にするために
ーー来訪者も人と人とのかかわりを求めていますね。
アンケートで瀬戸内に来た理由を尋ねると、圧倒的に、1位が現代美術。2位が海や島の面白さ。でも帰るときの答えは、1位が島の人と話せた。2位が島の行事に参加できた。3位が島の食材や料理を食べられた。というふうに変化する。都市は画一化され、人はロボットとして扱われ、会社で言われたことを一生懸命やるしかない。でも、田舎に行けば、固有名詞で呼んでもらえる。だからみんな田舎に行きたがる。
ーー瀬戸内国際芸術祭は3年に1度です。3年、6年、9年と、何を未来につないでいきたいですか?
三越伊勢丹とのコラボレーションの話がスタートした当初、驚いたことがあります。百貨店は正月やクリスマスなど、1年間の歳時記を展開していますが、それだけでは、オリジナルなものの見せ方は難しい。もっと大きな底流で動いているものを捉えた表現をしなければならない。そこで瀬戸内国際芸術祭とのコラボを考えた、とうかがい、人間の感覚の傾向性を掴もうとしている姿勢に感激し、そこから僕も学びたいと思ったわけです。
瀬戸内国際芸術祭は、いろいろな意味で3年に1度しかできない。3年間の準備期間はどうしても必要です。ただひたすら、目先のことに必死に対処しているのですが、せっかくやっているからには、と思うことがあります。多くの人たちが、いろいろな状況下で、大変な思いをして毎日を生きている。だからこそ、開口部があるとか、明るさを感じるとか、希望が見えるとか、そう思える場所にしていきたいと思っています。
前編に戻る。
人々は、他の場所にはないユニークなものに惹かれ、そこでしか味わえない固有の体験、五感の開放を求めて旅に出る。「旅」の先にあるのは、人と人とのフェイス・トゥ・フェイスの関係だ。人と人とが交わることで、どのような活力が生まれ、瀬戸内国際芸術祭は、それらの声にどう応えようとしているのだろう。
■人と直接出会い、食を通して土地を知る
ーー旅をする人たちの中には、どのような感情が湧き上がっているのでしょうか。
現代の価値観では、最大の情報に最短でアクセスする能力が問われています。行政も民間でも、情報処理能力の高さが優秀な人たちの定義です。彼らはそこにどっぷり浸かって昇進し、稼いでいるにもかかわらず、そのIT空間は嘘のものだと知っていて、フェイス・トゥ・フェイスの関係にしか真実はないと思っている。現在、世界的なグローバリゼーションの波がバーチャルになっているのに対し、本物のグローバリゼーションというのは、自分が移動することで生まれるフェイス・トゥ・フェイスの関係にしかないことに気付いているんですね。そういう人ほど、旅をしたがり、移動を求めている。
ーー今回の芸術祭では、とりわけ「食」をテーマとして全面的に押し出されていますね。
土地を知るには食が一番です。地元の食材を使い、島のお母さんたちがつくる料理は、世界一です。例えば、春になると瀬戸内海ではサワラが多く獲れる。東京では鮮度が落ちるから西京漬くらいしか馴染みがないかもしれませんが、瀬戸内海ではタタキで出してくれる。これがメチャメチャ美味しい。瀬戸内にはサワラの季節、押し寿司をつくって嫁さんに持たせて里帰りさせる風習があります。「こんなに美味いものを食べているなら、きっと嫁ぎ先でも幸せにやっているだろう」と実家の両親が納得するほど、地元の人がつくる旬のサワラのタタキや押し寿司は絶品です。それをみなさんにもできるだけ食べてもらいたい。
けれども、普段はなかなか食べに来る人が少ないから、島にレストランはほとんどない。前回の芸術祭に来られた方々の多くが、コンビニでおにぎりを買って食べていた。その反省として、せめて芸術祭の会期中はちゃんと食べてもらえるよう、一生懸命準備をしようと思ったわけです。
豊島で展開する「島キッチン」では、地元のお母さんたちも働いている
■人もアートも、それぞれみんな違う面白さ
ーー都市と地域は呼応し、交換し合うことがこの時代、大切であると聞きます。
僕が一番感動したエピソードは、浜辺から作品までの道の途中に住む人が、芸術祭が開幕して3~4日目ぐらいから、発泡スチロールの箱に水をためて、家の前でジュースを売り始めた。「おかあちゃん、何やっているの?」と家族が聞いたら、「島に来る人たちをずっと見ていた。でも、見ているだけではつまらない。何か売れば、おしゃべりできるかもしれない」と考えたと。そのジュースの仕入れ先は、10メートル先の自動販売機。そこで140円で買って冷やして140円で売っている(笑)。
普段、島に人は来ませんから、珍しいわけです。この話を聞いて、「いろいろな人を見てみたい」「話したい」というのが、島の人たちにとっての一番の喜びだと感じました。昔の街道筋もお遍路も、それが楽しみだった。もっと理屈っぽくいえば、地球上には73億人の違う人が生きていて、人それぞれみんな違うという面白さを本能が求める。アートの素晴らしさは、みんなが違っていいところ。人と違っていいことが唯一認められる領域。だから僕はディレクターとして、なるべく違うアートを選びたいと思っている。人間国宝級のすごいものがあっていいし、素人の作品もあってもいい。そういう多様さが、美術の最大の面白さだと思うし、都市と地域の交換の根拠だと思います。
ーー作品にもその影響は現れているのでしょうか。
普段はシリアスなテーマで活動しているアーティストも、おばちゃんたちに、「にいちゃん、がんばれ」と、肩やお尻をたたかれると、作品が明るくなります。それは美術のもっている祝祭性が、島(土地)とのかかわりの中で引き出されるからでしょう。クリスチャン・ボルタンスキーのシリアスな作品、例えば豊島にある《心臓音のアーカイブ》にしたって、海に開けていく感じがしませんか?
■瀬戸内海を希望の海にするために
ーー来訪者も人と人とのかかわりを求めていますね。
アンケートで瀬戸内に来た理由を尋ねると、圧倒的に、1位が現代美術。2位が海や島の面白さ。でも帰るときの答えは、1位が島の人と話せた。2位が島の行事に参加できた。3位が島の食材や料理を食べられた。というふうに変化する。都市は画一化され、人はロボットとして扱われ、会社で言われたことを一生懸命やるしかない。でも、田舎に行けば、固有名詞で呼んでもらえる。だからみんな田舎に行きたがる。
ーー瀬戸内国際芸術祭は3年に1度です。3年、6年、9年と、何を未来につないでいきたいですか?
三越伊勢丹とのコラボレーションの話がスタートした当初、驚いたことがあります。百貨店は正月やクリスマスなど、1年間の歳時記を展開していますが、それだけでは、オリジナルなものの見せ方は難しい。もっと大きな底流で動いているものを捉えた表現をしなければならない。そこで瀬戸内国際芸術祭とのコラボを考えた、とうかがい、人間の感覚の傾向性を掴もうとしている姿勢に感激し、そこから僕も学びたいと思ったわけです。
瀬戸内国際芸術祭は、いろいろな意味で3年に1度しかできない。3年間の準備期間はどうしても必要です。ただひたすら、目先のことに必死に対処しているのですが、せっかくやっているからには、と思うことがあります。多くの人たちが、いろいろな状況下で、大変な思いをして毎日を生きている。だからこそ、開口部があるとか、明るさを感じるとか、希望が見えるとか、そう思える場所にしていきたいと思っています。
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