9月12日は画家フェルナン・クノップフの誕生日です

2014.09.12

画家のフェルナン・クノップフ(Fernand Khnopff)は1858年9月12日生まれ。ベルギー・グレムベルゲン=レ=テルモンド出身。1921年11月12日逝去。

法律家や判事を輩出してきた一家の長男として生まれ、18歳の時にブリュッセル自由大学の法学部に入学。しかし、間もなく法律への興味が無くなると、クノップフは大学を中退。76年にはブリュッセル王立芸術アカデミーに入学し、絵画について学ぶようになる。

アカデミーへの在学中、クノップフは度々パリを訪れている。そこで彼はギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)などラファエル前派の画家と交流を深め、その画風は徐々に象徴主義の影響を受けるようになる。卒業後はサロンを拠点に活動していたが、83年にブリュッセルで美術協会「20人会」の設立に関与。「シューマンを聞きながら」などの作品を発表することになる。また、執筆家のジョゼファン・ペラダン(Josephin Peladan)から依頼された表紙絵は、人気歌手ローズ・カロン(Rose Caron)に酷似していたことがスキャンダルとなるが、このことがかえって彼の名声を高めることとなった。

その後はペラダン率いるカトリック薔薇十字会に誘われ、92年から薔薇十字展に参加するようになる。98年にはグスタフ・クリムト(Gustav Klimt)らが結成したウィーン分離派による「第1回分離派展」にも作品を出展。このとき発表された作品の一つが、後にクノップフの代表作となる「愛撫」だった。これは人の頭を持つ獅子“スフィンクス”が、両性具有者に寄り添う姿を描いたもので、その幻想的な世界観は後のシュルレアリスムの先取りしたようにも感じられる。後のクリムトなどの作風に大きな影響を与えた。

晩年はベルギー象徴主義を代表する作家となり、13年には王立美術アカデミー絵画部門の会員に選出。その傍らで舞台のセットや建築装飾などのデザインも手掛けた。
HEW
  • フェルナン・クノップフの作品 「Study for l'Offrande (The Offering)」
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