映画監督のブライアン・デ・パルマ(Brian De Palma)は1940年9月11日生まれ。アメリカ合衆国・ニュージャージー州出身。
イタリア系の整形外科医を父に持つが、デ・パルマに対する両親の関心は薄く、その2人も幼い時に離婚。複雑な家庭に生まれ育つ。17歳の時、論文「微分方程式の解法へのサイバネティックスの応用」でデラウェア・ヴァリー科学博のゴールドメダルを獲得。その後も、コロンビア大学で物理学や工業技術を専攻していたが、アルフレッド・ヒッチコック監督作品『めまい』に感動したデ・パルマは、16mm映画を撮影するようになる。すると、短編実験映画『ウォートンの目覚め/Woton's Wake』がローゼンソル財団賞を受賞。これをきっかけに、舞台監督のウィルフォード・リーチのもとで本格的に映画を学び始めた。
やがて、デ・パルマはインディペンデント映画を撮影するようになり、68年には『ロバート・デ・ニーロの ブルーマンハッタン/BLUE MANHATTAN II・黄昏のニューヨーク』でベルリン映画祭の銀熊賞を受賞。76年にはハリウッドに移住すると、スティーヴン・キング原作のホラー映画『キャリー』を発表。この映画はアカデミー賞2部門にノミネートされ、若手監督の中でも注目を集める存在となる。
その後のデ・パルマは、80年公開の『殺しのドレス』や、96年に公開されたトム・クルーズ(Tom Cruise)主演の『ミッション:インポッシブル』など、サイコホラーやアクション映画で高い評価を受けることになる。その作品では画面の分割や360度回転、ワンカット長回し、スローモーション、目線アングルなどの技法が多用され、こうしたシーンは「デ・パルマカット」と呼ばれ多くのファンを熱狂させた。
07年には『リダクテッド 真実の価値』を公開。イラク戦争で米兵がイラク人を殺害した「マフムーディーヤ虐殺事件」をこともあり、アメリカ国内では賛否両論を招いたが、ヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞を受賞している。
私生活では『キャリー』に出演した女優ナンシー・アレンと79年に結婚するが、その4年後に離婚。その後も結婚を繰り返したが、いずれも破局している。