テノール歌手のアンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli)は1958年9月22日生まれ。イタリア・トスカーナ地方出身。
子供の頃からSPレコードを通してテノール歌手に興味を持ち、オペラへの憧れを抱くようになる。親の勧めでピアノを弾き始めると、いつしかフルートやサックスにまで演奏の手を伸ばすようになった。しかし、12歳の時にサッカーボールが頭蓋を直撃する事故にあうと、脳内出血が原因となって視力を完全に失ってしまう。
そんな障害にもボチェッリは屈することなくピサ大学に進学すると、法学博士号を取得。遂には弁護士の職に就くが、心の中にはオペラ歌手への夢が絶えることなく燃え続けていた。結局、法曹界で活躍する傍ら、ルチアーノ・ベッタリー二(Luciano Bettarini)の下で歌手としての勉強を始める。そんな彼に、またとないチャンスが訪れる。イタリアを代表するスター歌手として知られるズッケロ(Zucchero)にデモテープ作成のためのシンガーとして採用されると、彼はボチェッリの歌声を絶賛。その歌声はズッケロとデュエットした世界的なテノール歌手、ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti)をも感嘆させ、遂にプロデビューへのチャンスを手に入れることになる。
やがて、歌手としてデビューしたボチェッリは、94年にサンレモ音楽祭新人部門で優勝。96年にオペラのアリアやナポリ歌曲のカンツォーネなどを収録したアルバム『ヴィアッジョ・イタリアーノ』を発表すると、その歌声がヨーロッパ中で人気を集めることになる。更に、97年に発表した『ロマンツァ』は全世界で2,000万枚を売り上げ、ボチェッリの名は世界を代表するテノール歌手として知られるようになった。
その後、CDを発表する傍らで、数々のコンサートをこなしていく。98年には初のアメリカツアーを開催。99年にはグラミー賞とアカデミー賞の授賞式で、セリーヌ・ディオン(Celine Dion)とデュエットを果たしている。特にグラミー賞では「ベスト・ニュー・アーティスト」の候補に選ばれており、これはクラシック演奏家としては実に36年ぶりの快挙となった。
一方、94年にはピサで上演された「マクベス」でオペラにデビュー。98年には「ラ・ボエーム」のロドルフォ役を演じ、世界中の批評家から絶賛された。その他、セレモニーでの独唱も数多く務めており、トリノオリンピックの閉会式や、UEFAチャンピオンズリーグの閉会式、上海国際博覧会のオープニングセレモニーなどに登場している。