『エル・ジャポン』はマガジンハウスから離れた後、本社都合により版元の社名が変わっていった。1989年タイム・アシェット・ジャパン(後にアシェット・フィリパッキ・ジャパンとなる)、99年にはアシェット・フィリパッキ・ジャパンと婦人画報社が合併しアシェット婦人画報社に、2011年7月1日アシェット婦人画報社は、米ニューヨークに本社を置くハースト・コーポレーションの傘下に入りハースト婦人画報社と社名が変更した。
その間『エル・ジャポン』は出石尚三、南谷えり子、森明子が編集長を務め、2012年2月4代目編集長に塚本香が就任。誌面に編集長として名前が記されたのは、同年5月号(3月発売)からとなった。
15年に及ぶ森編集長体制の後を受け継いだ、塚本香編集長に新『エル・ジャポン』が今後どこへ向かおうとしているのか訊ねると、「ELLEは、世界44ヶ国で愛されているファッション誌です。日本でも成功していましたので、これまでの根幹は大きく変えずに、更にファッションのコンテンツを充実させ、これまでよりボトムアップするのが自分の役目だと思っています」と答えが返ってきた。
特集主義は継承しつつ、ファッションに特化した特集の回数を増やし内容を掘り下げる、クオリティーの高い撮り下ろしモードページで独自性をアピールし、セレブファッションのページでは読者の興味を誘導する誌面作りを心掛けたという。
ほとんど米版、英版、仏海外版からのリフト(流用)が多かったカバー(表紙)も、昨年は、クロエ・セヴィニーの来日に合わせて東京で、ミランダ・カーは、日本からファッションディレクターを派遣し、NYでカバーシューティングを行った。ミランダのカバーは、米ラグジュアリーブランドのデザイナー、マイケル・コース来日のタイミングに合わせて発表。ミランダとマイケルとのコラボレーションイベントが、読者とマスコミを招待して盛大に行われた。
「昨年、外国人モデルで撮った日本のカバーが、ウクライナ・エルにリフトされたんですよ」と塚本編集長。次第に、ファッションコンシャスな塚本エルが確立しつつあるようだ。
『エル・ジャポン』は、今年2014年に25周年を迎える。周年の年にはどの雑誌も、読者を招待したパーティーを開き祝うのが恒例となっている。『エル・ジャポン』も読者へ感謝を込めたパーティー開催は言うまでもなく、春以降働く女性のキャリアアップを応援する ” エル・アクティブ ”というイベントを催す予定とか。
「仏『ELLE』は、もともと女性を応援する雑誌としてスタートしたルーツを持ち、数年前から1年に1日だけ " エル・アクティブ ”というイベントを開催し、働く女性を対象に、彼女達のキャリアアップをサポートするセミナーや講演会を行っています。25周年を記念して、日本版でも来年5月か6月に同じコンセプトのイベントを計画しています」。周年の後も、" エル・アクティブ "は継続し、読者とのコミュニケーションを図ることも想定している。
日本版モード誌として最も歴史ある『エル・ジャポン』は、節目の年を迎え、次世代対応の媒体に生まれ変わろうとしている。