1971年よりファッションデザイナーとして活躍、日本人で初めてロンドンでショーを開催し、アーティスト、デヴィッド・ボウイのステージ衣装を担当。そして、1990年代からは、イベントプロデューサーとして活躍する山本寛斎。
昨年、42年ぶりとなるロンドンでのショー「Fashion in Motion: Kansai Yamamoto」をヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)にて開催。1月2日からは伊勢丹新宿店でポップアップイベント開催も決まり、新しい一歩を踏み出す山本寛斎に話を聞いた。
――まずは、今回のロンドンでのイベントについて、伺えますか?
イベントが成功だったという点では、42年前と今回で似たような印象があります。ただ、やはり違うのはコンピューターやインターネットというツールですね。新聞とテレビが主な情報源だった当時と比べ、反響のあり方、感情の伝達の仕方がものすごく違うと感じました。そういう点では40年という時間によって大きな変化が生まれるのだなと思います。
――まずV&Aでデヴィッド・ボウイの回顧展があり、史上最大級の動員数があって、そこでは寛斎さんの衣装がメインとなった。今回のイベントによって、過去のクリエーションと現在のそれが完全につながったな、という印象を受けますが、ご自身はいかがですか?
実は、今回の「David Bowie is」展で、私は他の人が彼のためにどんな服をデザインしていたのか、初めて見たんです。そこで改めて、私の服が彼と一番相性が良くて、実際に彼は私との衣装の時が一番勢いがあったんじゃないかと感じました。それはどうしてか。
当時、彼はロンドンからニューヨークへ行って、世界へ出るぞ、勝負するぞという思いを抱いていた時期。私もまた、日本から世界へ出ようとする勝負の思いがあり、そうした2人の思いが足し算になったということが一つ。もう一つは、西洋人と東洋人という、価値観や美学が全く違う者同士が激突したというのが鍵だったのかなと思っています。
――今回のショーでも、寛斎さんの溢れるエネルギーがロンドンの観客に存分に伝わっていました。
ロンドンで40数年前にショーをやりましたが、あの地を選んだのには訳があるんです。当時から私は“奇抜な“格好をした青年で、山手線に乗るとみんなが「ぎょっ」とした視線を向けるんですね。それがロンドンを歩くと、両脇のショップから女性店員達が出てきてワーワーと褒めてくれるというのが、分かったわけです。その頃は三波春夫さんが「お客様は神様です」という言葉を流行させましたが、私は「日本のお客様は神様じゃない、ロンドンのお客様が神様だ」と心の中で思っていたくらいです(笑)。
今回のボウイの個展に際しても、準備のために何回かロンドンに行きましたが、「かっこいい」だの「その服どこで買ったの?」だの、街を歩く度に盛んに言われるわけです。向こうでは相変わらず、モテる。ある種の敬意を持って見られる。40数年前も今回も全く一緒です。その根底にある、彼らの基準は“Individual”という言葉です。つまり、非常に個性を尊重する。それに対して日本は、随分と進化してはいるもののも、依然、集団的な民族だなと感じますね。
――今回のショーは「歌舞伎」をテーマにしているわけですが、寛斎さんご自身の思いをお聞かせください。
私は、オーケストラの指揮者とか、戦の武将のようなつもりで舞台にいました。演者の出のタイミングなど、私は観客の様子、全体の間合いを見て掛け声を掛けていく。良い舞台では観客の頭が動かないものですが、正に私の舞台でもそうでした。終わった瞬間にようやく息がつけるという解放感のようなものが感じられましたね。
――最初の早変わりでの寛斎さんの第一声、あれで私たちはぐっと舞台に引きつけられました。
私は、その瞬間、涙を流していました。どうしてか分かりません。指揮者が泣いてどうするのだという話もあろうかと思いますが、すべてがビシッと決まっている時には、そういう感情が生まれます。今回は入場の時からそういう舞台を作るべく、黒子を使ったりして演出をしていたのですが、公式の映像ではその部分、ばっさり削られてしまいましたが(苦笑)。
――確かに、黒子の映像はありませんでした。
今回のショーでは、1日に何回、時間は20分とか25分とかいうことから始まって、近藤等則さんのトランペットにしても、V&Aにあるラファエロの絵の具が剥離しないように、と音量を決められたり、非常に多くの制限がありました。
私は今まで、自分が好きな場所で好きなようにやってきましたから、こんなに制約されたとのは初めてでした。そこから学んだことは、好きにやれと言われた時は、これでもかというくらい、しつこく発信するんですが、制約があると、本当に最低限の伝えるべきことのみに絞られます。でも、時間が短くても制約が多くでも、自分の思っていることがはっきりしていれば伝わるんだなと、実感した初めての経験でした。
(2/2に続く。)