モードとは、移ろいやすいもの。昨日まで黒い服がトップトレンドだったはずが、翌日には白い服の時代がやってくる。こうした現象は、デザイナーの気まぐれが引き起こすことではなく、空気感を読み解くデザイナーが、新しいスタイルを提案することによるものだ。
モード誌の編集者は、その情報を少しでも早くキャッチし、クオリティーの高いファッションフォトと文章で、新しい時代の女性像を描き出す。それが、更にデザイナーを刺激する。ファッション界とモード誌は、表裏一体となってモードの進化を促してきた。そこに消費者が賛同して時代のモードが完成していく。
パリでオートクチュール組合(現在のサンディカ)が開設された1867年に、アメリカでは世界初のモード誌『Harper’s BAZAAR』が創刊された。その頃から既にモードの中心はパリにあり、パリから発信される最新モードにアメリカの女性は、憧れ胸躍らせていた。その証拠に、創刊号の『Harper’s BAZAAR』には、当時のファッショニスタ、ナポレオン3世の妃ウジェニーのファッションが掲載されている。1892年には米版『VOGUE』が創刊され、共に世界を代表するハイエンドなモード誌として、女性達をリードし続けている。『VOGUE』は現在20ヶ国、『Harper’s BAZAAR』も18ヶ国で発刊され、モード誌ファンを魅了。日本上陸は、共に21世紀の扉が開こうとしていた1999年から2000年のこと。国内のラグジュアリーブランドが、成熟した頃を見計らったかのようなタイミングだった。
モードの発信地パリに『ELLE』『marie claire』が登場するのは、『VOGUE』『Harper’s BAZAAR』より約50年後のこと。パリ生まれのモード誌は、パリジェンヌのライフスタイルをフィーチャーし、ファッション、インテリア、食、とトータルに質の高い暮らしを提案するもので、アメリカ発のモード誌とは趣を異にする。
日本初の、海外提携モード誌、『アンアン/エル・ジャポン』が上陸したころ、パリのモードは、オートクチュール(高級仕立て服)からプレタポルテ(高級既製服)へ移行していた。フランスの『ELLE』や『marie claire』は、プレタポルテの時代をパリジェンヌの粋なスタイルに変換。それが日本女性の感性にフィットした。一説によると、一般的なフランス女性と日本女性の体格が近いため親近感がわくのではという説もある。確かに、ゲルマン女性と日本女性の骨格の違いは、モード感も生活感も違ってくる気がする。
粋なライフスタイルを信条とするフランスのモード誌の中にも、ハイエンドのモードを提案する『VOGUE PARIS』がある。『VOGUE PARIS』は、カリーヌを始め現在の編集長エマニュエルも『ELLE』の編集者だっただけに、ゴージャス、エレガンスの中にカジュアルなモード感が漂い、それが同誌のスタイルになっている。
元『GLAMOUR』の編集者だったバベット・ジアンが1999年創刊した『NUMERO』もフランスの雑誌らしく、ライフスタイル型(ファッションはもとより、デザイン、建築、ファインアートに定評がある)モード誌とカテゴライズされるが、エッジィな視点でのビジュアル表現はハイ・モード感を醸し出し、クリエーター系の人達に支持されている。
ここで紹介した、アメリカ、フランスのモード誌は、いずれも日本版となって出版されている。それらが、日本のマーケットに浸透していく過程とモードの進化を重ね合わせて、話を進めていくことにする。
(2/12--モードが日本にやって来た。ディオールからケンゾーまでに続く。)