Merry Christmas!
ご挨拶が遅くなりましたが、ファッションヘッドラインは12月で一周年を迎えました。あらためて取材にご協力頂いた皆様、読者の皆様、この1年6,000本を超えるニュース配信に携わったすべての関係者の皆様に深くお礼を申し上げます。
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「アニエスベー日本上陸30周年」という記事を見て、気が付いた。私自身がファッションの編集者という名刺を持ったのが1984年、来年30年目になる。そもそもニューヨークのフェアチャイルド社が日本のハナヱモリ社と「Wジャパン」というファッションペーパーをスタートするという新聞広告を偶然見て応募したのが始まり。一年間、大阪支局で広告営業をやった後、編集配属となった。最初の仕事はドン・ペリニヨン、ロレックス、シャツのシャルヴェ、ランバンなど、欧米の名品や老舗メゾンのヒストリーを紹介する特集だった。当たり前のことながら、WEBがあるわけもなく、資料は輸入商社が持っている伊英仏の原文のコピー。新人編集者は四苦八苦しながら、何とか誌面を構成した。
今から思うと、おそらくあれはタイアップだったのだろうが、当時、雑誌で編集タイアップという手法は一般的ではなく、どちらかというと禁じ手だった。しかしながら、販売部数を見込めないファッション専門紙やカルチャーマガジンは、新しいメディア運営の方法として、今の言葉で言えば「マネタイズ」の手法を確立していった。いずれにしても、広告と編集の垣根がファッションというジャンルから緩やかに解禁になっていった頃のことだ。
今の編集者には想像も出来ないだろうけれど、入社当時FAXはなかった。海外からの連絡はテレックス(モールス信号のようなもの)。出張先からの記事は電話送稿だった(口伝えだ)。海外のコレクションの撮影フィルムは、現地で取材しているスタッフが先に帰国する顔見知りの商社マンに託して、下っ端の編集者が便名を聞いて日本の空港まで受け取りに出向いていた。
そんな時代から、この華やかな世界の一端で好きな仕事ができていることに心から感謝している。FAX、ワープロ、携帯電話、PC、インターネットとファッションジャーナルのインフラは整備されたが、ランウェイや展示会の現場は30年前とほとんど変わっていない。ファッションに夢中になる人々のタイプもあまり変化していないように思う。変化したのはそこに居る人々が、インターネットにさえつながれば、全員が発信者になれるということだけだ。
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最後になりましたが、ファッションヘッドラインは2年目を迎え、新たな編集体制でのぞみます。私、野田達哉が編集長を退任し、この一年、副編集長として現場を支えた海老原光宏が新編集長として、若いチームで新たなスタートを切ります。1年間本当にありがとうございました。そして2014年も新しいファッションヘッドラインを何卒、よろしく申し上げます。
<追記 about photo>
30年前(おそらく)に、当時のガールフレンドへのクリスマスプレゼントとして伊勢丹新宿店で買ったのが、アニエスベーの真っ赤なマフラー(写真)だった。確か新宿通側の1階にコーナーがあったはず…。さらに当時、頻繁に遊びに行っていたツバキハウスのあったテアトルビル5階で、30年後の今、婦人服バイヤーの取材をしているのだから、その奇縁にも驚いている。