12月10日は寺山修司の誕生日です

2013.12.10

人の寺山修司は1935年12月10日生まれ。青森県出身。劇作家映画監督、写真家としても活躍した。

高校卒業後に上京し、早稲田大学教育学部国語国文学科に入学する。在学中から歌人として活動し、短歌研究社が主催する「短歌研究新人賞」を受賞。19歳でネフローゼを患い入院するため、大学を中退。その後、20歳で処女戯曲『忘れた領分』を発表し、これを観た谷川俊太郎が見舞いに来たことで交流が始まる。58年に第1歌集「空には」を出版し、退院後は谷川の勧めでラジオドラマを書き始める。

60年代は、長編戯曲『血は立ったまま眠っている』が劇団四季にて上演された他、映画のシナリオや少女向け詩集レーベル「フォアレディース」を編むなど、活躍の幅を広げる。27歳で女優の九條映子と結婚し、67年に彼女らと共に演劇グループ「天井棧敷(てんじょうさじき)」を設立。創立時には横尾忠則や東由多加らも在籍しており、70年代に小劇場ブームを巻き起こした。

その他、69年に作詞したカルメン・マキの『時には母のない子のように』が大ヒット。監督・脚本を務めた映画『田園に死す』(74年)は、文化庁芸術祭奨励新人賞と芸術選奨新人賞を受賞した。膨大な量の文芸作品を残し、メディアの寵児的な存在であったが、肝硬変のため83年に47歳の若さで死去した。2013年は没後30年ということで寺山に因んだ様々な展覧会が催されている。
編集部
  • 天井棧敷『書を捨てよ!町へ出よう!』ポスター
  • 天井棧敷『星の王子さま』ポスター
  • 天井棧敷『犬神』フランクフルト公演ポスター
  • 寺山修二『摩訶不思議な客人』
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