レイ・カイザー・イームズ(Ray Kaiser Eames)は1912年12月15日生まれ。アメリカ合衆国・カリフォルニア州出身。88年8月21日逝去。
家族と共にニューヨークに移住すると、抽象画家のハンス・ホフマンによる指導の下で、本格的に画家としての技術を学ぶようになる。40年にクランブルック美術アカデミーに入校すると、当時インダストリアルデザインの講師を務めていたチャールズ・イームズ(Charles Eames)と知り合い、互いの才能に引かれ合った2人は間もなく結婚。当時チャールズが手掛けていた成形合板を用いた家具の開発に、今度は夫婦で取り組むようになる。
41年にイームズ夫婦は、アメリカ海軍の依頼を受けて、負傷兵が用いる添え木の製作に取り掛かる。すると、軽量な整形合板を用いた添え木はたちまち人気を集め、夫婦の元には大量の注文が殺到した。これを足掛かりに、いよいよイームズ夫妻は整形合板を用いた家具を製作。一時は経営破綻によって会社を売却するアクシデントに見舞われるが、46年にはMoMAで開催した個展で数々の作品を発表している。そのうちの一つが、後にブランドの代表作となる「イームズ・ラウンジチェア」の試作品だった。これらの作品は業界に衝撃を与え、その年のうちにイームズ夫妻はハーマンミラー社と契約。夫婦の作品の販売を同社が一手に手掛けるようになる。
48年にはMoMAが主催した「ローコスト家具デザイン」コンペで、素材にFRPを用いた「イームズシェルチェア」を発表。見事に入賞を果たすと、50年には商品化され、夫婦が熱望していた家具の大量生産が実現した。その後も「ワイヤーチェア」や「ラウンジ・チェア&オットマン」などの代表作を世に送り出し、その高い評価とともにイームズの名は世界中へと知れ渡っていく。その一方で60年代に入ると、家具以外にも様々なデザインを手掛けるようになり、61年にはIBMから依頼を受けて、数学的な事象を目で見て体験するための展示「マスマティカ」を製作。68年には教育映画『パワーズ・オブ・テン』を監督した。
これらの活動が評価され、61年にはカウフマン国際デザイン賞受賞を、77年にはアメリカ建築家協会25年賞受賞を受賞している。13年にはイームズ夫妻の生涯を描いた映画『ふたりのイームズ:建築家チャールズと画家レイ』が公開された。