ドイツにアトリエを置きながら、新たな絞りのテキスタイルを模索するスズサンのデザイナー村瀬弘行から、ペルーのアルパカやチベットのカシミアなどの素材の解説を受けながら、「寛斎さん、一緒に何かやりしょうよ!僕たちは何千枚ものロットを作ることはできないけれど、小さなロットで面白いことができますよ」とラブコールを受け、「あなたと話していると、まるで有機栽培の農業をしている人と話している気分になるね」と思わず漏らした山本寛斎氏。後からその真意を聞くと、彼らのもの作りの情熱に敬意を表してとのこと。
かつて、有松絞りの作家・竹田耕三の作品「アポルタージュ絞り衣裳」(2004年)を演出した同氏にとって、有松絞りは馴染み深い染色技術。弟の村瀬史博が生産地の名古屋に本拠を置き、兄の弘行がドイツで企画と欧州の営業活動を行うというスタイルは、これまでの日本のブランドや産地にはなかった行動力。作品を持ってメゾンを訪ねる彼の実行力がディオールがオートクチュールの門を開いた。「地元ではどんどん職人が減っているんですよ」「今、何歳?」「31歳です」「情熱あるね」という会話が、このニューヨークで行われている。
「メゾン・デ・ペルル」のクチュールのビーズ刺繍の手仕事をデモンストレーションで披露した小林モー子に「毎日どれくらい作業するの?」「これだけで生活はできるの?」とユーザーと同じ目線での質問も、同氏らしい。螺鈿の細工まで内製する履き物の老舗、祇園ない藤が哺乳ビンの素材から開発したというサンダルのトングの話に感心し、ロボガレージのビジネスモデルに感嘆する。オープニングパーティーでニューヨークのファンと次々に写真を撮影していた姿とはまた違った側面の氏の好奇心が次々と言葉でキャッチボールされる。それは年齢を超えて、デザイナー、プロデューサーという役割を超えて、今回の参加メンバーの誰よりもパワフルだ。
今回のニッポニスタの一つの企画の柱は、女性バイヤーの自主企画で運営を行うことにあった。彼女達がニューヨークという場所で「クールジャパン」というテーマのもと、日本の若手クリエーターのビジネスマッチングをプロデュースすることが大きな目的だった。今回、ニッポニスタを企画したアシスタントバイヤーが寛斎氏に聞いた。
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