普段私達は海外のブランドを手掛けていますが、日本のファッションにもこんな素晴らしい技術や商品があるということが海外に知られていない。もっと海外に知ってもらいたいし、ビジネスを含めて、その足掛かりになればというのが今回のニッポニスタの趣旨。寛斎さんのようにもっと海外にアピールするためには、何が必要なのでしょうか?
寛斎:本当のところ、私達はまだ自分自身のアピール力は弱いと思っている。この程度では全然だめ。例えば映画なら製作費5億円、宣伝費5億円というのが普通だけれど、5億円で製作して、5,000万円で宣伝しているような状況だと思う。
---寛斎さんは70年代になぜ、日本のファッションを海外に紹介しようと思ったのですか?
寛斎:そもそも西洋のものより我々のものが劣っているとは思っていない。作る過程における回路は違うかもしれないけれど、勝負すると負けることはない、引き分けだと思う。アカデミックな教育環境の背景はなかったけれど、当時の新宿歌舞伎町のエネルギーなどを吸収して海外に持っていけば、端から負けているとことは絶対ないと思っていた。
---海外で勝つためには何が必要なのでしょうか?
寛斎:勝つべき理由をはっきりすること。頑張ってやる、一生懸命やるというのは、決して勝つべき理由にはならない。戦略を明確に持つことが重要でしょう。私ができなかったのはビジネスの戦略を持っていなかったこと。私を含め先達は日本のデザイナーとしての才能は証明したけれど、ビジネス的な戦略を証明できたのは結局、「コム デ ギャルソン(COMME des GARCONS)」しかなかったのでは。
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