演出家・作家の本谷有希子は1979年7月14日生まれ。石川県出身。
石川県内の高校を卒業すると上京し、映画や演劇にかかわる人材を育成する専門学校「ENBUゼミナール」に進学。松尾スズキ主催の劇団「大人計画」による『ふくすけ』のほか、『alt.4』や『1989』などの舞台に出演する。98年にはアニメ「彼氏彼女の事情」の沢田亜弥役で声優デビューした。
00年に「劇団、本谷有希子」を旗揚げ。専属の俳優を持たない“プロデュース・ユニット”をコンセプトに、劇作家としての活動を開始する。妄想過多な人間を軸に独特の世界観を展開する本谷の作風は、徐々にファンを集め始め、07年には演劇『遭難、』で第10回鶴屋南北戯曲賞を最年少で受賞。09年には『幸せ最高ありがとうマジで!』で第53回岸田國士戯曲賞を受賞した。
一方で、02年には月間文芸雑誌『群像』の増刊『エクスタス』に、小説「江利子と絶対」を発表。小説家としてデビューしている。05年には「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」が第18回三島由紀夫賞の候補となり、翌々年に佐藤江梨子主演で映画化された。この作品はカンヌ国際映画祭批評家週間に正式出品されている。その後も本谷は「生きてるだけで、愛。」や「ぬるい毒」など、数々の小説を発表。13年に「嵐のピクニック」が第7回大江健三郎賞受賞を受賞すると、翌年には「自分を好きになる方法」が第27回三島由紀夫賞に選ばれた。
また、本谷の知名度を広げる上で一役を買ったのが、ラジオ番組への出演だった。05年から1年間、ニッポン放送「オールナイトニッポン」でパーソナリティーを担当。特別回“オタクナイトニッポン”や作家にもかかわらず漢字の読み間違える、下ネタに寛容な姿勢などからコアな人気を集めたが、1年間で“見せしめ”という理由から番組は終了した。
これらの活動もあって、09年には日本を代表する女性を選出する“ヴォーグ ニッポン ウィメン・オブ・ザ・イヤー”に選ばれている。私生活では13年に詩人で作詞家の御徒町凧と結婚した。