写真家・笠原秀信がイタリア周遊旅行の途中で切り取ったランドスケープ「THE ROAD」の第6弾・ローマ編(後編)をお届けします。
イタリアの首都ローマは、古代ローマ帝国の時代から、ルネッサンス、バロック、現代と人類のあゆみをそのまま今に伝える永遠の都。キリスト教の総本山で独立国のヴァティカン市国(Citta’ del Vaticano)もローマ市内にあります。ローマの歴史地区、そしてヴァティカン市国はそれぞれ、世界遺産に登録されています。
パンテオン (Pantheon) は、ローマ市内のマルス広場に建造された神殿。元々は、様々なローマ神を奉る万神殿でした。
最初は紀元前25~27年頃には建設されたと言われています。その後火事で焼失してしまい、現在の姿は115~118年にかけて再建。
建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2m の円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは6mに達しますが、高さによって材質を使い分けており、ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mに減じる。
パンテオンの天井の穴 パンテオンの目(オルクス)と言われています。穴の直径は9m、雨も入ってきます。
ローマ市内でも美しい広場として有名な「ナヴォーナ広場」。
もともとは1世紀の古代ローマ時代に「ドミティアヌス競技場」としてつくられた経緯があり、フィールドの部分が現在も広場として使われているという、非常に長い歴史があります。
中央にはオベリスク(記念碑)がそびえます。
ナヴォーナ広場には3つの噴水があるのですが、その中でも強い存在感を放っているのが、中央に鎮座する「四大河の噴水」です。
スペイン広場
イタリアの首都ローマの旧市街北部にある広場。かつてこの広場の近くにスペイン大使館があったことから、この名でよばれるようになりました。
ローマの中心地では一番のショッピングゾーンとなっていることから、観光客だけでなくローマの人々も日常的に訪れます。なかなか手の届かない高級ブランド店が軒を連ねるコンドッティ通り(Via Condotti)をはじめとして、普通の店がたくさん見つけられるバブイーノ通り(Via del Babuino)やコルソ通り(Via del Corso)が交差していて、ウインドウ・ショッピングだけでも十分楽しめます。スペイン広場エリアは歴史と流行が混在し、昼間は人々の活気があふれ夜は落ち着いた雰囲気となります。
映画「ローマの休日」の舞台として有名なスペイン階段。
この階段には正式名称があって、Scalinata di Trinità dei Monti(スカリナータ・ディ・トリニタ・デイ・モンティ)といいます。
階段は一番上まで135段続いていますが途中に広い踊り場がありますので少し休んで下の景色が眺めてもよいでしょう。登りきった所にももたれて下が見られるような柵があります。これらの場所からの眺めは最高で、特に夕日に染まったローマを眺めれば一生の思い出になるでしょう。
ヴェネチア広場
ローマの中心にありながら、なぜ「ヴェネツィア広場」と呼ばれているのは15世紀半ばに、ヴェネツィア出身の枢機卿ピエトロ・バルボによって建設されたこの宮殿は、当時は「バルボ宮殿」と呼ばれていました。彼はのちに、法王パウルス二世となります。
一時期、ヴェネツィア共和国の大使館として使われていたため、「ヴェネツィア宮殿」が名称に。「ヴェネツィア宮殿」は、建設された当初は現在よりも規模が大きく、カンピドーリオ方面にもう一つ小宮殿がつながっている様式でした。この小宮殿は、「記念堂」の建設の際に広場の南西に移動。しかし、広大な敷地を誇った「ヴェネツィア宮殿」があった場所、としてその名が残ったのです。
現在の「ヴェネツィア広場」は、1885年から1911年にかけて作られました。
「国父」と仰がれたイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の功績を称えるため、息子のウンベルト一世によって建設。
サンタンジェロ城
イタリアの首都ローマ市内を流れるティベレ川右岸にある円形の要塞。
城の頂上に、16世紀のラファエッロ・ダ・モンテルーポ作の大天使ミカエルの大理石像が建っています。ローマ市内唯一の城塞で、バチカンのサンピエトロ大聖堂から徒歩圏内にある。もともとは135年に、ローマ帝国のハドリアヌス帝が自身の霊廟(れいびょう)として建設を開始し、4年後の139年に完成した建物だが、のちに軍事施設に変わり、14世紀ごろになるとローマ教皇の要塞や監獄として使われるようになりました。1527年、神聖ローマ皇帝カール5世のローマ侵攻の際には、教皇クレメンス7世はこの城に立て篭もって抵抗しました。また、地動説を唱えた哲学者・天文学者のジョルダノ・ブルーノ(1548~1600年)は、火刑に処せられる前の7年間、この城塞に幽閉された。現在、この城塞は軍事博物館(国立サンタンジェロ城博物館)になっています。
次回はバチカン市国に続きます!
コロナ流行りで世の中のリモート化が急速に進んだ一方、誰かとの他愛もない会話だったり、道端の花を愛でる時間だったり、アナログとして大事にしなければならないものが確かにある。そんな思いが交錯するかのような道と人々と街が織りなすストーリー「THE ROAD」
静かで温かな空気感をとらえる笠原秀信のアートのようなフォトグラフィーに、とくと注目したい。過去と現在、そして未来を見つめながら、私たちの道はまだまだ続いていく。
「THE ROAD - in Roma (後編)」
https://hidenobu.com/the_road/
photo : Hidenobu Kasahara
第6弾の舞台はイタリア・ローマ市内
イタリアの首都ローマは、古代ローマ帝国の時代から、ルネッサンス、バロック、現代と人類のあゆみをそのまま今に伝える永遠の都。キリスト教の総本山で独立国のヴァティカン市国(Citta’ del Vaticano)もローマ市内にあります。ローマの歴史地区、そしてヴァティカン市国はそれぞれ、世界遺産に登録されています。
パンテオン (Pantheon) は、ローマ市内のマルス広場に建造された神殿。元々は、様々なローマ神を奉る万神殿でした。
最初は紀元前25~27年頃には建設されたと言われています。その後火事で焼失してしまい、現在の姿は115~118年にかけて再建。
建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2m の円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは6mに達しますが、高さによって材質を使い分けており、ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mに減じる。
パンテオンの天井の穴 パンテオンの目(オルクス)と言われています。穴の直径は9m、雨も入ってきます。
ローマ市内でも美しい広場として有名な「ナヴォーナ広場」。
もともとは1世紀の古代ローマ時代に「ドミティアヌス競技場」としてつくられた経緯があり、フィールドの部分が現在も広場として使われているという、非常に長い歴史があります。
中央にはオベリスク(記念碑)がそびえます。
ナヴォーナ広場には3つの噴水があるのですが、その中でも強い存在感を放っているのが、中央に鎮座する「四大河の噴水」です。
スペイン広場
イタリアの首都ローマの旧市街北部にある広場。かつてこの広場の近くにスペイン大使館があったことから、この名でよばれるようになりました。
ローマの中心地では一番のショッピングゾーンとなっていることから、観光客だけでなくローマの人々も日常的に訪れます。なかなか手の届かない高級ブランド店が軒を連ねるコンドッティ通り(Via Condotti)をはじめとして、普通の店がたくさん見つけられるバブイーノ通り(Via del Babuino)やコルソ通り(Via del Corso)が交差していて、ウインドウ・ショッピングだけでも十分楽しめます。スペイン広場エリアは歴史と流行が混在し、昼間は人々の活気があふれ夜は落ち着いた雰囲気となります。
映画「ローマの休日」の舞台として有名なスペイン階段。
この階段には正式名称があって、Scalinata di Trinità dei Monti(スカリナータ・ディ・トリニタ・デイ・モンティ)といいます。
階段は一番上まで135段続いていますが途中に広い踊り場がありますので少し休んで下の景色が眺めてもよいでしょう。登りきった所にももたれて下が見られるような柵があります。これらの場所からの眺めは最高で、特に夕日に染まったローマを眺めれば一生の思い出になるでしょう。
ヴェネチア広場
ローマの中心にありながら、なぜ「ヴェネツィア広場」と呼ばれているのは15世紀半ばに、ヴェネツィア出身の枢機卿ピエトロ・バルボによって建設されたこの宮殿は、当時は「バルボ宮殿」と呼ばれていました。彼はのちに、法王パウルス二世となります。
一時期、ヴェネツィア共和国の大使館として使われていたため、「ヴェネツィア宮殿」が名称に。「ヴェネツィア宮殿」は、建設された当初は現在よりも規模が大きく、カンピドーリオ方面にもう一つ小宮殿がつながっている様式でした。この小宮殿は、「記念堂」の建設の際に広場の南西に移動。しかし、広大な敷地を誇った「ヴェネツィア宮殿」があった場所、としてその名が残ったのです。
現在の「ヴェネツィア広場」は、1885年から1911年にかけて作られました。
「国父」と仰がれたイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の功績を称えるため、息子のウンベルト一世によって建設。
サンタンジェロ城
イタリアの首都ローマ市内を流れるティベレ川右岸にある円形の要塞。
城の頂上に、16世紀のラファエッロ・ダ・モンテルーポ作の大天使ミカエルの大理石像が建っています。ローマ市内唯一の城塞で、バチカンのサンピエトロ大聖堂から徒歩圏内にある。もともとは135年に、ローマ帝国のハドリアヌス帝が自身の霊廟(れいびょう)として建設を開始し、4年後の139年に完成した建物だが、のちに軍事施設に変わり、14世紀ごろになるとローマ教皇の要塞や監獄として使われるようになりました。1527年、神聖ローマ皇帝カール5世のローマ侵攻の際には、教皇クレメンス7世はこの城に立て篭もって抵抗しました。また、地動説を唱えた哲学者・天文学者のジョルダノ・ブルーノ(1548~1600年)は、火刑に処せられる前の7年間、この城塞に幽閉された。現在、この城塞は軍事博物館(国立サンタンジェロ城博物館)になっています。
次回はバチカン市国に続きます!
コロナ流行りで世の中のリモート化が急速に進んだ一方、誰かとの他愛もない会話だったり、道端の花を愛でる時間だったり、アナログとして大事にしなければならないものが確かにある。そんな思いが交錯するかのような道と人々と街が織りなすストーリー「THE ROAD」
静かで温かな空気感をとらえる笠原秀信のアートのようなフォトグラフィーに、とくと注目したい。過去と現在、そして未来を見つめながら、私たちの道はまだまだ続いていく。
「THE ROAD - in Roma (後編)」
https://hidenobu.com/the_road/
photo : Hidenobu Kasahara