ファッションの世界だけではなく、近年の社会全体の最も大きなテーマである“グローバル”をブランド名に掲げる、アダストリアのグローバルワーク(GLOBAL WORK)。SCを中心に成長を続ける同ブランドのクリエイティブを手掛けているのがカンボジアン・アメリカンのトム トー(Tom Tor)だというのは案外知られていない。海外ブランドでもこの数シーズン、ダイバーシティ(Diversity)はクリエイティブの共通したテーマとなりつつあり、ブランドのグローバル化を図っていく上で重要な戦略のひとつだ。
グローバルワークはトムのディレクションにより、TVCMに2016年春にバンドの【Alexandros】、2017年春はシンガーのAIをキャンペーンに起用。モデルとして日本人は登場しないが、CMソングはJ-POPの実力派が手掛けるオリジナルソングというハイブリッドな仕掛けを打ち出した。さらに今秋にはブランドの世界観をSNSやWEBなどで拡散させる新しい映像サイトをローンチした。
海外の広告デザインで数々の賞を受賞し、米国で20年のキャリアを重ねた彼は、広告クリエイターとして異色の経歴を持つ。その経歴が少なからず影響しているであろう、彼の哲学や、仕事に対する思いについて話を聞いた。
––––まず経歴についてお聞かせください。不躾で恐縮ですが、難民出身とうかがいました。
ええ。カンボジアを出て10ヶ所以上もの難民キャンプを転々としました。アメリカに渡ったのが14歳の時でした。当時、アメリカ政府は難民受け入れに積極的でしたが、難民認定審査があってなかなかスピーティにはいかず、キャンプ生活から渡米するまでに4年から15年くらいの時間を要すると言われていて、自分も10年以上かかりました。そんなに長く待てないと、親族たちはそれぞれヨーロッパ、カナダ、日本と別々の国に渡りました。
––––やはり、渡米したことで人生が変わったと思われますか?
そうですね。知らない人には想像できないような厳しい時代はありましたが、今はアメリカ人として暮らしています。祖国カンボジアの情勢も改善され、時代の流れも世界情勢も大きく変わりました。そういう意味でも人生の第1章が完結し、アメリカで第2章が始まったと思います。
アメリカに移住し14歳で学校に通い始めました。最初は、まったく英語が話せませんでしたから、必死で勉強しました。英語ができないから成績が下のほうのクラスに入れられましたが、先生に直談判して一番上のクラスに入れてもらいました。絶対に勉強するからと約束して。クラスでは勉強を教えてくれたり何かと助けてくれる生徒と友達になりました。アメリカ人のコミュニティに入っていこうと努力したのです。
それに、人って一生懸命やっている人には手を差し伸べてくれるんです。同じような境遇の人と群れ、運が悪いと嘆いていては、そこから一歩も進まない。何も学べないし身につかないのです。その考えは今も変わらず、自分の哲学でもあります。
––––その後、アートの道に進もうと決めたのですね。
というよりも、読み書きに苦労していた私にとって、自分自身を表現するにはアートが一番手っ取り早い方法だったのです。
本当は、映画制作の道に進みたかったのです。奨学金をもらってUCLA(カリフォルニア州立大学)の映画学科に進みましたが、同窓生にはソフィア・コッポラなど才能あふれるメンバーがいましたが、フィルムプロジェクトにかかる学費は2万ドル(220万円)から4万ドル(440万円)。「とても無理」(笑)と軌道修正したわけです。その後、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインで広告デザインを学び、卒業後は広告代理店でアートディレクターとして働き始めました。
––––アメリカで広告の仕事をされて数々の賞も受賞されましたが、どのような経緯で日本に来ることになったのでしょうか。
日本で開催されたいくつかのアート展などに出展する機会があり、徐々に東京でのパートナーも増えました。それで日本のカルチャーシーンで自分の作品を発表したり表現をしてみたいと思ったからですが、もっと端的に言えば、日本にいるのが心地良いからです(笑)。
日本にいて、日本人の礼儀正しさや親切な対応に触れると素直に感動します。アメリカ人にはない美点で、カッコイイとも感じます。僕自身も、日本に住むようになって穏やかになりましたよ。
––––2015年に、「GLOBAL WORK」のクリエイティブディレクターとして活動することになりました。
20年間、広告制作をやってきて広告のことは熟知していますが、日本に来てからは学び直しをしている感覚です。日本人が何を感じ、何が好きで、どんな習慣があるのか––関心を持って観察し、自分の中の日本人観をアップデートしているところです。
––––仕事のスタンスとして、これまでと違いを感じる部分はありませんか。
広告の仕事は、どうしてもインパクトがあるかどうかに重きが置かれます。だから巷にあふれる広告は、クリエイティビティよりも「どのタレント・俳優を使うか」が重視されてしまう。有名人を起用したCMが繰り返し流れますが、インパクトがあるだけで、メッセージを伝えきれていないと感じるCMもたくさんあります。もちろん15秒という短い時間でできることは限られていますが、もっと消費者に伝えたいメッセージを織り込んでもいいと思うんです。
––––今回の作品で大切にしたのは何でしょうか?
「ストーリー」です。「FEEL IT」というコンセプトを前面に押し出し、「心地よさ」「本当の幸せ」が伝わるような映像を制作しました。人と人がオープンなマインドでつながるような、身近でシンプルなことにこそ、本当の幸せがあるということを伝えたかったのです。
「心地よさ」や「幸せ」を映像で表すことは難しいのですが、誰でも持っている「感じたい」という欲求にフォーカスしました。例えば、砂浜に行けば指で砂に触れてみたくなるし、裸足で砂の上を歩きたくなるでしょう。そうした「感じたい」という感覚を呼び覚ますような映像にすることを目指しました。
今の気分をとらえ、「服のCM」としては新しい提案になっていると思います。
グローバルワークはトムのディレクションにより、TVCMに2016年春にバンドの【Alexandros】、2017年春はシンガーのAIをキャンペーンに起用。モデルとして日本人は登場しないが、CMソングはJ-POPの実力派が手掛けるオリジナルソングというハイブリッドな仕掛けを打ち出した。さらに今秋にはブランドの世界観をSNSやWEBなどで拡散させる新しい映像サイトをローンチした。
海外の広告デザインで数々の賞を受賞し、米国で20年のキャリアを重ねた彼は、広告クリエイターとして異色の経歴を持つ。その経歴が少なからず影響しているであろう、彼の哲学や、仕事に対する思いについて話を聞いた。
––––まず経歴についてお聞かせください。不躾で恐縮ですが、難民出身とうかがいました。
ええ。カンボジアを出て10ヶ所以上もの難民キャンプを転々としました。アメリカに渡ったのが14歳の時でした。当時、アメリカ政府は難民受け入れに積極的でしたが、難民認定審査があってなかなかスピーティにはいかず、キャンプ生活から渡米するまでに4年から15年くらいの時間を要すると言われていて、自分も10年以上かかりました。そんなに長く待てないと、親族たちはそれぞれヨーロッパ、カナダ、日本と別々の国に渡りました。
––––やはり、渡米したことで人生が変わったと思われますか?
そうですね。知らない人には想像できないような厳しい時代はありましたが、今はアメリカ人として暮らしています。祖国カンボジアの情勢も改善され、時代の流れも世界情勢も大きく変わりました。そういう意味でも人生の第1章が完結し、アメリカで第2章が始まったと思います。
アメリカに移住し14歳で学校に通い始めました。最初は、まったく英語が話せませんでしたから、必死で勉強しました。英語ができないから成績が下のほうのクラスに入れられましたが、先生に直談判して一番上のクラスに入れてもらいました。絶対に勉強するからと約束して。クラスでは勉強を教えてくれたり何かと助けてくれる生徒と友達になりました。アメリカ人のコミュニティに入っていこうと努力したのです。
それに、人って一生懸命やっている人には手を差し伸べてくれるんです。同じような境遇の人と群れ、運が悪いと嘆いていては、そこから一歩も進まない。何も学べないし身につかないのです。その考えは今も変わらず、自分の哲学でもあります。
––––その後、アートの道に進もうと決めたのですね。
というよりも、読み書きに苦労していた私にとって、自分自身を表現するにはアートが一番手っ取り早い方法だったのです。
本当は、映画制作の道に進みたかったのです。奨学金をもらってUCLA(カリフォルニア州立大学)の映画学科に進みましたが、同窓生にはソフィア・コッポラなど才能あふれるメンバーがいましたが、フィルムプロジェクトにかかる学費は2万ドル(220万円)から4万ドル(440万円)。「とても無理」(笑)と軌道修正したわけです。その後、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインで広告デザインを学び、卒業後は広告代理店でアートディレクターとして働き始めました。
––––アメリカで広告の仕事をされて数々の賞も受賞されましたが、どのような経緯で日本に来ることになったのでしょうか。
日本で開催されたいくつかのアート展などに出展する機会があり、徐々に東京でのパートナーも増えました。それで日本のカルチャーシーンで自分の作品を発表したり表現をしてみたいと思ったからですが、もっと端的に言えば、日本にいるのが心地良いからです(笑)。
日本にいて、日本人の礼儀正しさや親切な対応に触れると素直に感動します。アメリカ人にはない美点で、カッコイイとも感じます。僕自身も、日本に住むようになって穏やかになりましたよ。
––––2015年に、「GLOBAL WORK」のクリエイティブディレクターとして活動することになりました。
20年間、広告制作をやってきて広告のことは熟知していますが、日本に来てからは学び直しをしている感覚です。日本人が何を感じ、何が好きで、どんな習慣があるのか––関心を持って観察し、自分の中の日本人観をアップデートしているところです。
––––仕事のスタンスとして、これまでと違いを感じる部分はありませんか。
広告の仕事は、どうしてもインパクトがあるかどうかに重きが置かれます。だから巷にあふれる広告は、クリエイティビティよりも「どのタレント・俳優を使うか」が重視されてしまう。有名人を起用したCMが繰り返し流れますが、インパクトがあるだけで、メッセージを伝えきれていないと感じるCMもたくさんあります。もちろん15秒という短い時間でできることは限られていますが、もっと消費者に伝えたいメッセージを織り込んでもいいと思うんです。
––––今回の作品で大切にしたのは何でしょうか?
「ストーリー」です。「FEEL IT」というコンセプトを前面に押し出し、「心地よさ」「本当の幸せ」が伝わるような映像を制作しました。人と人がオープンなマインドでつながるような、身近でシンプルなことにこそ、本当の幸せがあるということを伝えたかったのです。
「心地よさ」や「幸せ」を映像で表すことは難しいのですが、誰でも持っている「感じたい」という欲求にフォーカスしました。例えば、砂浜に行けば指で砂に触れてみたくなるし、裸足で砂の上を歩きたくなるでしょう。そうした「感じたい」という感覚を呼び覚ますような映像にすることを目指しました。
今の気分をとらえ、「服のCM」としては新しい提案になっていると思います。