ダイエー創立者の中内功(なかうち・いさお)は1922年8月2日生まれ。兵庫県出身。
高校を卒業後、42年に日本綿花(現ニチメン)に入社。しかし翌年に召集され満州国やソビエト、フィリピンに送られる。重傷を負うも奇跡的に生還し、復員後は神戸で薬局を経営。薬局を拡大させ大栄薬品工業株式会社(現ダイエー)を設立。57年には「主婦の店ダイエー」第1号店を大阪市にオープン。医薬品や食品を安価で販売するスタイルが、流通業界に革命を起こした。
70年代はグループ拡大に奔走し、コンビニエンスストア「ローソン」、百貨店「プランタン銀座」、ハンバーガーチェーン「ウェンディーズ」などを展開。80年には年間売り上げが1兆円を突破し、小売業日本一にまで成長した。関連企業300社、社員数10万人のCEOとして活躍するも、巨額の借金と売上不振による経営危機が表面化していった。01年5月に取締役を辞任した。
晩年は、自身が私財を投じて設立した流通科学大学の運営に専念。2005年9月に83歳で死去した。
高校を卒業後、42年に日本綿花(現ニチメン)に入社。しかし翌年に召集され満州国やソビエト、フィリピンに送られる。重傷を負うも奇跡的に生還し、復員後は神戸で薬局を経営。薬局を拡大させ大栄薬品工業株式会社(現ダイエー)を設立。57年には「主婦の店ダイエー」第1号店を大阪市にオープン。医薬品や食品を安価で販売するスタイルが、流通業界に革命を起こした。
70年代はグループ拡大に奔走し、コンビニエンスストア「ローソン」、百貨店「プランタン銀座」、ハンバーガーチェーン「ウェンディーズ」などを展開。80年には年間売り上げが1兆円を突破し、小売業日本一にまで成長した。関連企業300社、社員数10万人のCEOとして活躍するも、巨額の借金と売上不振による経営危機が表面化していった。01年5月に取締役を辞任した。
晩年は、自身が私財を投じて設立した流通科学大学の運営に専念。2005年9月に83歳で死去した。