――ファッションが社会の中で、どんな存在になって欲しいとお考えですか。
表層的な部分だけ脚光を浴びるのではなく、文化的な地位が上がって欲しいですね。ファッションは低俗的に見られることも多く、ファッションをテーマにしていたり、仕事にしていると言うと純粋性に欠けると思われたりすることも多々あります。大量消費、大量生産という象徴的な資本主義世界だと認識されている。そういった側面も確かにあるが、それは表層的なものであって、本質はそこじゃない。その資本主義的な部分が認知されていて、それ以外のファッションについては理解されていない状況を感じます。それは、教育的な部分でも感じていて、国内にはアカデミックにファッションを学べることころがありません。アカデミックにデザインを学ぶ場がないという思いから、まずは「ここのがっこう」を立ち上げました。ファッションについて考えていると伝えたいことがたくさんあって、その一環で教育もどのようにファッションを伝えるのか、クリエーションには何が必要なのかと考えた結果、「ここのがっこう」に至りました。
――自分がデザイナーでありながら、教える立場というのは、どんな心境ですか。
伝導というか、仲間を作るというか、“だよね”、と共感できる人を持つということです。共感する人達が増えてくれればいいなという思いでやっています。一緒に仕事が出来たり、仲間が増えた実感はすごくあるんで、僕の財産ってそこなんじゃないかと(笑)。お金は儲けてないけど、人脈は広がって、一緒に支え合っていると感じます。卒業生が、デザイナーになったり、縫製を始めたり、刺繍工場を立ち上げたり、生地屋のコーディネートをしたり、ライターになったり、色んな子がいます。そこで、ネットワークが生まれて仕事で繋がる。これまでとは違う形で仕事が出来たり、滑車が回り始めた感覚があります。
――“着られる”とか“暖かい”とか利便性を補うための洋服ではなく、自分自身の存在を表現するような洋服の存在を前者がファッションだと思う人に理解してもらうことは難しいのではないでしょうか。
そうなんですよ。僕も実は答えが見つからなくて、葛藤の中、やっています。例えば、宮崎駿監督の映画のように、作った作品が長い時間を掛けて多くの人の価値観に影響を与えるような表現方法があると思います。ファッションにも何か違う広がりや、文化的な根付き方がないのかと考えています。僕が今「リトゥンアフターワーズ」でやっている活動は、その模索に近いと思います。
――シーズンごとに新作が出て、やがてマークダウンされていく、このファッション業界の消費システムへの疑問を近年多く耳にします。ファッションはアートのような永続性は持てないのでしょうか。
アート的な表現がファッションにあるとは思うのですが、アートって言いたくない気持ちもあって。この前「絶命展」では、アートとファッションのどこが違うのかを見せたつもりです。アートが持ち得ていないところ、まだ許容できていないところがファッションにはあるというところを表現したかった。そこまでは表現したと思っています。だからといって、ファッションがアートじゃないとも言い切れない。“芸術”という言葉は「芸」の「術」と書くので、ファッションには芸術の部分も多くあると思います。ファッションもアートのように、ある種の価値保存や文化的な価値の共有が出来て欲しいと思っています
――今後の展望として、どんなことをされたいですか。
近い未来でいうと、リアリティーの中での服を提案していきたいです。これが、僕の中での課題です。いわゆる、布帛の着られる服をどう表現するのかは、ファッションをする上で人が一番見たいものだと思うので。そこをド直球で挑戦していくところがとても大事だと思っています。今までの活動では、そこをあえて外して表現をしていたので、少しずつ、焦らず、そこに挑戦していきたい気持ちがあります。でも、自分自身のもっと大きな課題というのは、ファッションの素晴らしさを伝えていきたいというところ。それが、一番しっくりきますね。
――あえて、最後の質問はこちらです。山縣さんにとって“ファッション”って何でしょうか。
ファッションは生命体だと捉えています。魂だったり、心のような、流動的な存在。生命みたいに生と死があるし、形を変えたりしてまた生まれ変わったりもする。すごく生々しくて、人間っぽいものだと思います。だから自分は理屈じゃなく、ファッションが好きなんです。
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