ミュージシャン・画家のジョン・スクワイア(John Thomas Squire)は1962年11月24日生まれ。イギリス出身。
子供の頃からギターやペインティングを趣味とし、83年に幼馴染のイアン・ブラウン(Ian Brown)らとともにロックバンド「ザ・ストーン・ローゼス」を結成する。87年にセカンドシングル『サリー・シナモン』を発表すると、全英インディーチャートで3位を記録。この頃、バンドにはベーシストとしてマニが参加しており、これによってローゼスの主要メンバーが顔をそろえることになった。
89年にローゼスはファーストアルバム『ザ・ストーン・ローゼス』を発表。これによってバンドの名前が一躍イギリスに広まると、シングル『フールズ・ゴールド』が全英シングルチャートの8位を記録。この年を代表する新人アーティストとして、UKロックカルチャーを代表する存在となった。
しかし、ファーストアルバムが成功を収めた後、ローゼスは所属レーベル「シルバーストーン」との関係が悪化し、2年におよぶ裁判に巻き込まれてしまう。結局、移籍が認められたのは91年のことで、その後もバンドは長期にわたって活動を休止してしまった。このため、セカンドアルバム『セカンド・カミング』が発表されるまでに、ファンは実に5年もの歳月を待たされることになる。
『セカンド・カミング』のハードロック・サウンドは、イギリス中のローゼスファンを魅了した。しかし、程なくメンバー間の人間関係に亀裂が入ると、96年にスクワイアがバンドを脱退。これによって、ローゼスは解散状態となる。その後、スクワイアは96年にロックバンド「ザ・シーホーセズ」を結成。アルバム『ドゥ・イット・ユアセルフ』を発表したものの、99年にバンドは解散してしまう。以降はソロ活動が中心となり、02年にファーストアルバム『タイム・チェンジズ・エヴリシング』を、04年にセカンドアルバム『マーシャルズ・ハウス』を発表した。
その後、スクワイアは音楽業界を離れ、マンチェスターを拠点にアーティストとしての活動をスタートさせる。04年にロンドンの現代美術館で作品を発表すると、その後は世界各地で個展を開催。09年には日本では初となる個展「ネガティブ アフターイメージ」で、ペインティングやドローイングによる作品を発表した。
なお、ザ・ストーン・ローゼスは11年に待望の再結成が実現。スクワイアもメンバーの一員としてバンドに参加しており、その様子は13年公開のドキュメンタリー映画『ザ・ストーン・ローゼズ:メイド・オブ・ストーン』で公開された。