現代美術家の大竹伸朗は1955年10月8日生まれ。東京都目黒区出身。
74年に武蔵野美術大学の油絵学科に進学したものの、わずか1週間で休学を申請。北海道別海町の牧場に住み込みで働くと、その後は北海道の各地を回りながら、景色を絵や絵画に納めていた。その行動は77年にイギリスに留学したときも変わらず、帰国後には溜まった作品を作品集として出版。一方で80年に大学を卒業した後は、ノイズバンド「JUKE/19」を結成してアルバムを自費製作していた。
82年に大竹は個展を開き、本格的に現代美術家としての活動をスタート。ガラクタやゴミを寄せ集めた巨大なオブジェで世間の度肝を抜くと、その活動は芸術にとどまらず、絵本や写真、パフォーマンスなど様々なジャンルで才能を発揮している。中でもライフワークとなっているのが、77年に製作を開始した「スクラップ・ブック」だ。これは大竹が気の向くままに印刷物をスクラップしたもので、ファッションからアート、風景、漫画、エログロまで様々な作品が収蔵されている。
88年に大竹は愛媛県に移住すると、以降はこの地を活動の拠点と定めている。97年には香川県直島町に点在する古民家を現代アート化する「家プロジェクト」に参加。09年には同じく直島で「アイラブゆ」をオープンしており、湯船からトイレの便器にまで絵付けタイルの手法が駆使された。その後も瀬戸内を舞台にインスタレーションなどを発表している。
また、大竹の作品は様々な展示会で人気を集めているが、中でも伝説となっているのが06年に東京都現代美術館で開催された回顧展「大竹伸朗 全景 1955-2006」。この展示会で大竹は日本人としては初めて3フロアを使用。2,000点の作品を展示すると、開催期間中には実に5万5,000人ものファンが詰め寄せた。14年8月から開催されている「ヨコハマトリエンナーレ2014」ではレイ・ブラッドベリのSF小説『華氏451度』になぞらえたタイトル「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」のもと、「忘却」に着目した作品「網膜屋/記憶濾過小屋」を展示している。