ヒップホップMCのスヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)は1971年10月20日生まれ。アメリカ合衆国・カリフォルニア州出身。本名はカルバン・ブローダス。
生まれる前に両親が離婚しており、兄弟と共に母親の下で育てられる。若い頃にはギャングの一員だった時期もあり、高校卒業後には麻薬所持のため禁固1年の実刑判決を受けてしまった。しかし、出所後はラップグループ「クリーク213」を結成。作成したデモテープが地元で人気となると、それが人気ラップグループ「N.W.A.」を脱退したドクタードレ(Dr.Dre)の目に止まる。彼は92年に自身初のソロシングル『ディープ・カバー』を発表しているが、この曲でスヌープ・ドッグはフィーチャリングを果たし、レコードデビューを飾った。
92年に発表されたドクタードレのデビューアルバム『クロニック』は、“歴史上最も売れたヒップホップアルバム”と呼ばれるほどの人気を集めた。このアルバムでもスヌープ・ドッグは全曲に渡ってフューチャリングしており、その名を世界に広げるきっかけとなる。翌年にはスヌープ・ドッグとしてのデビューアルバム『ドギー・スタイル』を発表。西海岸のギャングの生き様を描いたこの作品は、ビルボードチャートで1位を記録した。これにより、雑誌『ローリング・ストーン』でベストラッパーに選ばれるなど、スヌープ・ドッグはデビューからわずか1年ばかりで、アメリカを代表するラッパーへとのし上がることになる。
その後は自身のレーベルとなる「Doggy Style Records」を設立しながら、96年にはセカンドアルバム『Doggfather』を、98年にはサードアルバム『Tha Game Is To Be Sold, Not To Be Told』を発表。ちょうどこの頃にステージネームを“スヌープ・ドギー・ドッグ”から、現在の“スヌープ・ドッグ”へと改めている。99年にはアルバム『No Limit Top Dogg』で、再びドクタードレとの共演を果たした。
こうして、カリスマラッパーとしての人気を思いのままにしていたスヌープ・ドッグだが、12年に突如そのスタイルをレゲエに転向。ステージネームもスヌープ・ライオンに改めるという衝撃のニュースが業界を駆け巡った。この一連の過程に何があったのかは、13年に公開された映画『スヌープ・ドッグ/ロード・トゥ・ライオン』で明らかにされており、自らが主役を演じたことでも話題となっている。
この他にもスヌープ・ドッグは数々の映画にも出演しており、94年にはショートフィルム『Murder Was The Case』で主演を果たした。これは、彼のボディーガードが銃撃戦を引き起こした際、第一級殺人容疑をかけられた実話を元にしており、そのサントラも含めてファンには必見の内容となっている。00年にはポルノ映画『Snoop Dogg’s Doggystyle』で監督を手掛け、ポルノ界のオスカー賞と呼ばれるAVNアワードを受賞。05年には制作会社「スヌーパデリック・フィルムズ」を設立すると共に、彼が主演したブラックコメディー映画『ソウル・プレイン』が公開された。
12年にはアディダスジャパンのアプリ「アディダスクリスマスフェイスブック」内のショートアニメーションに出演。また、映画『スヌープ・ドッグ/ロード・トゥ・ライオン』の公開時には、これを記念したコラボTシャツが、「ア ベイシング エイプ(A BATHING APE)」からリリースされている。