【モードな言葉】#03マルコム・マクラーレン

2013.09.10

「問題だったのはヴィヴィアンさ。つまり僕が講釈師だったのに対して、彼女は職人だったというわけ」
by マルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)
* 『ダブリュー・ジャパン』(フェアチャイルド・モリ出版)1985年6月号「People」より

「Let It Rock」に始まり、「SEX」「セディショナリーズ」「ワールズエンド」を共に築いたヴィヴィアン・ウエストウッドとの仲を解消。単身アメリカに渡り、自身のアルバム「マダム・バタフライ」をリリースした1985年時のインタビューから。
ちなみに「baby,please don’t goなんて僕には書けないから」と、 同アルバムがヴィヴィアン・ウエストウッドへのオマージュだったことを明かしている。

マルコム・マクラーレン(1946年1月22日〜2010年4月8日)は70年代半ばから80年代にかけて、ニューヨークドールスを手始めに、セックス・ピストルズ、アダム&ジ・アンツ、バウワウワウなど、ファッションムーブメントと音楽を戦略的に手がけたことで知られる。母親がデザイナーで、自身もファッションデザイナーとしてキャリアをスタートさせた。2010年中皮腫のため永眠。

ヴィヴィアンとの間の息子、ジョー・コーレは「A Child Of The Jago」というブランドで、彼の死を看取った義理の息子ベン・ウエストウッドも自身の名前のブランドを展開。日でも「パンクの父」のDNAを支持するファンは多い。

また、マルコムの旧友でありセックス・ピストルズなどのレコードジャケットデザインで知られるアートディレクター、ジェイミー・リードの展覧会渋谷パルコパート3の地下に新しくできるギャラリーXで9月14日から行われる。
編集部
  • マルコム・マクラーレン(1980年撮影)
  • 1977年当時セックスピストルズマネージャー時代のマルコム・マクラーレン(右から二人目)
  • マルコム・マクラーレン(2007年撮影)
  • 2010年4月マルコム・マクラーレンの告別式でのヴィヴィアン・ウエストウッドとアダム・アント
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