「問題だったのはヴィヴィアンさ。つまり僕が講釈師だったのに対して、彼女は職人だったというわけ」
by マルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)
* 『ダブリュー・ジャパン』(フェアチャイルド・モリ出版)1985年6月号「People」より
「Let It Rock」に始まり、「SEX」「セディショナリーズ」「ワールズエンド」を共に築いたヴィヴィアン・ウエストウッドとの仲を解消。単身アメリカに渡り、自身のアルバム「マダム・バタフライ」をリリースした1985年時のインタビューから。
ちなみに「baby,please don’t goなんて僕には書けないから」と、 同アルバムがヴィヴィアン・ウエストウッドへのオマージュだったことを明かしている。
マルコム・マクラーレン(1946年1月22日〜2010年4月8日)は70年代半ばから80年代にかけて、ニューヨークドールスを手始めに、セックス・ピストルズ、アダム&ジ・アンツ、バウワウワウなど、ファッションムーブメントと音楽を戦略的に手がけたことで知られる。母親がデザイナーで、自身もファッションデザイナーとしてキャリアをスタートさせた。2010年中皮腫のため永眠。
ヴィヴィアンとの間の息子、ジョー・コーレは「A Child Of The Jago」というブランドで、彼の死を看取った義理の息子ベン・ウエストウッドも自身の名前のブランドを展開。日本でも「パンクの父」のDNAを支持するファンは多い。
また、マルコムの旧友でありセックス・ピストルズなどのレコードジャケットのデザインで知られるアートディレクター、ジェイミー・リードの展覧会が渋谷パルコパート3の地下に新しくできるギャラリーXで9月14日から行われる。