40年の長きにわたり、音楽界の最先端で活躍してきたアーティストたちを記録し続けてきた写真家、デニス・モリス(Dennis Morris)。7月28日までバーニーズニューヨーク新宿店で催されているエキシビションのため来京した。
デニスが、この道に入るきっかけとなった最大の恩人である故ボブ・マーリー(Bob Marley)や、「時代の寵児」セックス・ピストルズ(Sex Pistols)などの思い出を語る。
(Vol.2より続く)
「将来が見出せない若者たちは、確実に変化を求めていました。にもかかわらず、当時の著名なプログレッシブ・ロックバンドなどは、大きな会場でまるでサーカスのようなショーをやっていた。当然、若者たちの気持ちを掴めるはずがありません。そんな彼らの怒りを剥き出しに表現したのが、まさにセックス・ピストルズだったのです」
大音響のシンプルなロックンロールに乗せ、デビュー曲の「アナーキー・イン・ザ・UK(Anarchy in The UK)」では「俺は反キリスト、無政府主義者だ」と叫び、英国国歌をそのままタイトルにした2枚目のシングル「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン(God save the queen)」では、「神よ女王を救い給え。奴は人間じゃねえぜ」と悪態をついた。まさしく彼らは時代の寵児として、あっと言う間に世界中の注目を浴びる。「あれほど露骨に体制や王室に噛みついたアーティストは、あの頃誰もいなかった。彼らのライブはいつも異様な緊迫感に満ちていましたよ」。
私生活もハチャメチャだった。メンバーの逮捕、右翼の暴漢による襲撃事件、そして勿論、大酒とドラッグ……。「ピストルズの顔だったのは言うまでもなく、ジョン(ジョニー・ロットン、後ジョン・ライドンに改名)とシド(・ヴィシャス、ベーシスト)。ジョンは確かにスター性があった。まあ、外見通り付き合うのは難しい人間で、周りの人間もどちらかというと疎んじていましたが。シドはとてもシャイだった。ガールフレンドだったナンシーとともにハードなドラッグにはまったのもそれが一因でしょう。彼は人前で演奏するのをむしろ恐れていた。だから舞台に出たら、逆に観客に襲いかかるというスタイルを編み出したのです。それが火に油を注いだことは言うまでもないですが。いちばん真っ当だったのは、音楽的な支柱だったポール(・クック、ドラマー)でしょう。今でも彼とは友人関係が続いていますよ」
それから1年も経たぬうちにピストルズが分裂してしまったことは、想像に難くない。まさしく彼らは、一瞬にして燃え尽きたのである。「パンクは決して流行やファッションではなく、時代に対する『意思表示』だったのです。あの当時、パンクの格好をしていた若者たちは実は決して多くはなかった。ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)などを介してそのスタイルが世界的に広まったのは、ピストルズが消滅して後のことです。音楽的影響の多大さも、現代のアーティストに至るまで言うまでもない。彼らはあの時代にあって、若者の精神の在りようを赤裸々に示したのです」
モリスがピストルズを盛んにカメラに収めていた頃、ボブ・マーリーもロンドンに長逗留をしており、モリスは両者の間を頻繁に行き来した。「お陰で、私の中では精神的なバランスがとれたのかもしれません(笑)。ピストルズとマーリーは好対照でね。まさに『イン・アンド・ヤン(陰と陽)』でしたよ(笑)。
唯一つ共通しているのは、彼らほど激しい個性と巨大な存在感をもったアーティストは、私の長いキャリアの中でも他にお目に掛かったことがない、ということ。だから彼らがいまだに輝きを放っている理由が、私には十分に納得できるのです」
(完)