歌手デビューを夢見て、日夜練習に励む若者は無数にいる。しかし、自らの才能と成功を信じ、一つひとつの出会いを着実に次のステップへとつなげていくことができる人は稀だ。
実のところ、Nao Yoshioka(ナオ ヨシオカ)がほんの数年の間に世界に名を知られるアーティストへと成長した理由はそこにあるのかもしれない。デビューしたての頃は「自分は他の人より劣っているとしか思えなかった」という彼女だが、そんな自分との決別を心に決めてからはみるみる道が拓けてきた。
この秋、セカンドアルバムとなる『Rising』を引っ提げてのツアーを前にした彼女の口からは「ここ3年はプランニングされていた道を歩んでいるみたいな不思議な感覚がある」との言葉が飛び出すほど。僅か数年の間に、彼女をここまで変化させたものは何だったのだろうか? そして、自らが歩む道の先に、彼女が見ているものを知るべく、彼女へのインタビューを試みた。
――いきなりですが、今日はNaoさんの根源にあるものに迫りたいと思っています。ずばり、Naoさんにとって歌うこととは?
歌うことは自分にとってのすべてです。自分の人生において歌うことが喜びでもあるし、音楽と向き合うことで悩みが生じるという点において、苦しみでもあります。でも、音楽と向き合っていると、時々、奇跡の瞬間に出合えるんです。そして、その瞬間に、「私はなんて素晴らしい世の中に生きてるんだろう」「この世界はなんて美しいんだろう」って感じます。それは、自分が生きている世界に感謝できるというか、本来の自分に戻れるような感覚です。きっと、本当に音楽が大好きな人はみんな持っている感覚だと思うのですが。美味しいご飯を食べたときに「生きててよかった」って思うのと同じように、すごく新鮮な瞬間です。自分はそういう瞬間を追い求めて生きている気がするので、「なぜ歌うのか?」という問いに対する答えはそれかなって。
――幼い頃から、Naoさんの中にはそういう感覚があったのでしょうか?
小さい頃は何も考えていなくて、ただただ音楽が好きでした。私は、父がインテリアコーディネーター、母がドレスデザイナー、姉は2人とも絵を描いている美術一家に育ったんです。特に母は、芸術に対して確かな価値を見出していて、芸術って素晴らしいということを、幼い頃からずっと私に教えてくれていたので、その影響は大きいと思います。
そんな家庭に育ったこともあって、高校生くらいまでは「漫画家とかキャラクターデザイナーの道を歩むんだろうな」となんとなく思っていました。ところが、高校で軽音部に入って人前で歌い始めたとき、「ああ、私はこれをするべきなんだ」って思う瞬間があったんです。絵では得られなかった、稲妻みたいな快感にバーンッて襲われて「私は音楽をやるために生まれてきたんだ」って思ったんですよね。
――以降、音楽への道を歩み始めるわけですが、その道中に出合ってきた「奇跡みたいな瞬間」ってどんな瞬間ですか?
自分がステージに立っている時も、観客としてライブに行っている時にも感じるのですが、ライブ会場全体の一体感は特別ですね。でも、そうした非日常にだけじゃなく、なにげない日常の中にも奇跡の瞬間は存在すると思っています。例えば、誰かの曲を歌うにあたって、曲の歌詞を書き写して、音楽を聴きながら文字を辿っていると、作り手が何を思ってその言葉を綴ったのかなってことまで考えだして、毎回感動して泣いてしまいます。「この人はきっとこういう背景があって、そのときの想いをこんな言葉に託したんだな」と思うと、その時の情景が見えてきて、時間も場所も越えて、作り手と心がつながっているみたいな気分になる。そんな瞬間も奇跡のようなものですよね。
私はカバー曲を歌う時も、その曲の世界と自分の人生観や、自分が伝えたいメッセージが重なっていないと不自然に感じるんです。だから、いつも歌詞をしっかり読みこむし、歌ごとの世界観を素晴らしいなと思いながら練習しています。
――すごく勉強熱心なんですね。
そうしないと、言葉だとか考えだとかがまとまらないんですよ。普通にしゃべっていても、あちこちに話が飛んでしまうタイプなので(笑)。だから、アルバムを作る時も、まずアルバム全体のコンセプトをノートにびっしり、20ページくらいに書き出してプロデューサーに見せるところからスタートしました。そこで「まだ、ダメだ」って言われると、もう一度書き直す。という往復を何回も重ねましたね。
そうやって、自分の考えていること、伝えたいことを書き記すことで「なぜ、私は今悩んでいるのか」みたいに自己分析することもありますね。「できなくて悔しい」だとか、「どうしたら上手く出来るんだろう」っていう葛藤自体が新しい音楽を生むこともあります。
2/2に続く。