“ファッション”とは、一体何を指し示す言葉なのか。この答えは十人十色、いや、百人百様だろう。これまでの“ファッション”これからの“ファッション”の世界に生きる人達に、ファッションって何だろう?というシンプルな問いを投げ掛けてみたい。
今回この問いを投げ掛けたのは、1986年生まれの柳亜里。彼女の肩書きを決めるのは難しい。その活動は、ドローイング、アクセサリー製作、洋服のデザインと多岐に渡る。ファッション専門学校で学んだ後、デザイナー山縣良和が運営する「ここの学校」でファッションを学び、昨年渋谷パルコで行われた山縣良和・坂部三樹郎プロデュースの「絶命展」では絵の展示に加え、インスタレーションで洋服をプレゼンテーションした。
そんな彼女の言葉は、これからのファッションの広がりについて考えさせるものだった。インタビューを受けるのは、今回が初めてだという。
――初めてファッションを意識したのはいつですか。
高校生の頃です。「ブラック・サバス」(1960年代に結成されたイギリスのロックバンド)のCDジャケットを見た時、彼らの生活を知りたい、60年代のファッションを着てみたいと思いました。でも、当時はファッションデザイナーになりたいとは全く思っていなかったんです。ファッションデザイナーになりたいと言ってたクラスメイトに、そんなのなれる訳がないよってバカにしてたくらい(笑)。
――そこから自分自身がクリエーションの主体者になろうと思ったのはどうしてでしょう?
高校時代、大学には行きたくない。でも、田舎は出たいと思っていました。そんな時、テレビにたまたまファッションショーが流されて、ショーの最後に出てきたデザイナーが拍手されるシーンを見て「私、拍手される人になりたい」と思ったんです。それからファッションを学校で学ぶことに決め、バンタンデザイン研究所へ進学しました。手に職をつけるようなイメージです。それでも、当時はクリエーターになることを将来の夢にしようとは思ってなかったから、自分でもちょっと変な感じですよね。
――どんな学生時代でしたか。
基礎科を終えた後、1点ものの洋服とか、ひたすらポートフォリオを作るという量産することを前提にしていないファッションアーティスト科で学びました。ファッションとクリエーションのちょうど中間のイメージです。専門学校では、クラスメイトが多くのブランドを知ってたことや、パターンを引くことに熱中していることに、刺激を受けました。でも、ファッションデザインの傾向を勉強しても自分には響かなかった。だから当時は友達とファッションについて語り合うことはできなかったんです。
――その後、「ここの学校」に行かれたんですよね。
「ここの学校」に行って考えたことは、結局作るのは自分だから、本当にクリエーションをやろうと思ったら、学校に行くことが正解なのだろうか?ということです。行って学ぶことは楽しい。けれども、教えてもらうということは、自分には他力本願なところがあるということではないかと強く感じました。
2/2に続く。