コピーライターの糸井重里は1948年11月10日生まれ。群馬県前橋市出身。
生まれて間もなく両親が離婚し、父親に引き取られる。文学に目覚めたのは前橋高校に進学してからで、その後に法政大学に入学すると、当時盛んだった学生運動に身を投じる。68年の佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争では闘争委員長も務めたが、やがて内部抗争に嫌気がさすと、1年半で大学を中退した。
大学中退後はデザイン事務所「サムシング」に就職。テレビCMを手掛けるようになると、TVCFアイディア賞の銀賞と金賞を相次いで受賞する。その後、独立すると75年にはジーンズブランド「ウェルジン(Weldgin)」のキャッチコピー“このジャンパーの良さがわからないなんて、とうさん、あなたは不幸な人だ!”で東京コピーライターズクラブ新人賞を受賞した。その後も数々のCMや百貨店、更にはスタジオジブリ作品などのキャッチコピーを手掛けている。
78年には矢沢永吉の自伝本『成りあがり』を編集し、80年からはサブカル誌『ビックリハウス』の読者投稿ページ“ヘンタイよいこ新聞”を担当。一方で、79年には沢田研二の名曲「TOKIO」の作詞を手掛けるなど、この時期糸井は様々な分野でその才能を発揮している。90年には糸井をリーダーとする「徳川埋蔵金プロジェクト」がスタート。発掘現場を生放送で中継するという画期的な試みに、お茶の間の視線はテレビへとくぎ付けになった。
中でも、異色かつ有名な経歴となったのが、89年に発表されたテレビゲーム『MOTHER』だ。この作品のため、糸井は同年にゲーム製作会社エイプを設立。94年には続編となる『MOTHER2 ギーグの逆襲』も発表しており、多くのゲームファンを魅了している。
98年、糸井はホームページ「ほぼ日刊イトイ新聞」を設立。当初は個人サイトという位置づけだったが、エッセイや多くの著名人との対談などが話題となり、1日100万ビューワーを超えるメガサイトへと発展する。また、中川翔子や「ミナ ペルホネン(mina perhonen)」など様々なアーティストやファッションブランドとコラボレーションを行う「ほぼ日手帳」を始め数々の物販も手掛けており、14年5月にはリアル店舗を東京・南青山にオープンした。