私は黒もしくは真逆の極彩色が好きだ。パステル、シャーベットなど薄い色は大嫌いだ。ドス黒い彩度が好みなんだ。色というよりも、その物理的な光が瞳の水晶体を通じ、私の脳に感知させる雰囲気を愛しているのだ。スクリャービンの和声は色彩的豊かだが、旋律がくすんでいる。同じ共感覚を持つメシアンのステンドグラスをそのまま音化したような色彩とは違うのだ。
さて、今日は “黒い”文学を紹介しよう
バタイユ、サド、マンディアルグなどフランス文学も大分いい味を出しているのだが、まずは負けず劣らず異臭を放つ日本文学から始めよう。
1人目は江戸川乱歩だ。怪人二十面相と明智小五郎の活劇である少年探偵団シリーズなど、子供向けの作品を残した推理小説作家などと思われているかもしれないが、それが彼の本気だと勘違いしてはならない(まあ少年探偵団だって、明智と小林少年の関係を深読みすれば……乱歩は少年愛を研究していた)。
本領を発揮するのは「人間椅子」や「押絵と旅する男」「鏡地獄」「屋根裏の散歩者」などだろう。幻想・猟奇文学と表現するのがよいだろうか。本人は不本意だったらしいが、これらの人気が高かったという。その中で白眉なのが『芋虫』だ。
あらすじはググるか文庫を買ってもらうとして、ここでは説明しない。この作品の何が凄いかというと、反戦文学と見做され殆どの語句が伏字にして出版されたことや四肢を無くした夫を妻がいたぶる描写などではない。
この作品は一切の“抜き”が無いのだ。徹頭徹尾ドスグロく描かれている。
「屋根裏の散歩者」「人間椅子」などの着想は確かに不気味だ。これ以上なく肚の底がウズウズする筆運びなのだが、それも起承転までだ。結で現実的な落ちを付け、読者を現世に呼び戻してしまう。まあそれが作者の狙いなのかもしれないが、黒い官能を骨の髄まで愉しみたい一部読者にとっては物足りない。
それらに対し『芋虫』は本気度が違う。最後まで地を這う多肢生物のような気持ち悪さを貫くのだ。特に最後の括りが不快で美しい。
“闇夜に一匹の芋虫が、何かの木の枯枝を這っていて、枝の先端のところへくると、不自由なわが身の重みで、ポトリと、下のまっくろな空間へ、底知れず落ちて行く光景を、ふと幻に描いていた。”(新潮文庫より引用)
私などは情景を想像する度に戦慄と官能を覚え、ふとそれも芋虫のように身悶えしてしまう。
乱歩はサインを求められる度、以下を記したという。
“「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと”
“晝は夢、夜ぞ現”
幻想と闇の中に生きた彼を体現した文言だとは思わないか。この世界を継承する現代作家を寡聞にして私は知らない。
乱歩の作品は多くの出版社から刊行されているが、春陽堂書店の江戸川乱歩文庫が多賀新の表紙版画と相俟って私が最も好みとするところである。
図らずも長くなってしまった。夢野久作、小栗虫太郎、沼正三なども紹介したかったがまた次回以降に頁を譲る。