パブリックスクール(PUBLIC SCHOOL)が破竹の勢いをみせている。
14年にCFDA ファッション アワードのメンズウェア・デザイナー・オブ・ザ・イヤー、15年にインターナショナル・ウールマーク・プライズ(IWP)のメンズウェア部門グランプリを獲得、余勢を駆って15年9月にはDKNYのクリエイティブディレクターに就任した。イセタンメンズのポップアップ・イベントのために来日したマックスウェル・オスボーンとダオイー・チョウをインタビュー。
ーーIWPでのグランプリ獲得、おめでとうございます。
ダオイー・チョウ (以下、ダオイー):『失われた文明』をテーマに、ウールが唯一の繊維として存在した古代から現代にいたるプロセスを表現しました。ベースにあったのはもちろん、ストリートやスポーツ。ぼくらが生まれ育ったニューヨークのスタイルです。技術的な面ではニードルパンチや丸編みなどさまざまなテクニックを採り入れました。
ーーそれにしてもここ数年の活躍は目覚ましいものがあります。
マックスウェル・オスボーン(以下、マックスウェル):いえいえ。ようやくスタート地点に立ったばかりです。
ダオイー:僕もコンテストの優勝は通過点にすぎないと思う。ただ、そこでリテーラーやユーザーと結ばれたことは素直に嬉しい。
ーーダオイーさんはヒップホップの世界を目指していたそうですね。
ダオイー:中学、高校とヒップホップ一辺倒でした。しかし残念ながら、そこまでの才能はありませんでした。金を稼ぐために友人がイーストビレッジではじめた服屋を手伝うようになり、そうして気づいたんです。僕にはファッションがあったと。ヒップホップの世界で誰よりも目立つためには、服も大切なファクターだったのです。
ーーお二人はどのようにしてパブリックスクールを立ち上げるのですか。
マックスウェル:ショーン・コムズ(ヒップホップ界の大物)が手がけるショーン ジョンというブランドで同僚だったんです。「ワクワクする服ってないよね」って語り合ったその数日後には独立していました。ショーン ジョンはもちろん、ヨウジ(ヤマモト)やナイキも好きだけど、丸ごとぼくらの価値観にあう服はない。当時は昔懐かしいトラッドが席巻していたこともあって、ファッションはそれだけじゃないということも証明したかった。
ーーワクワクする服とは?
マックスウェル:目立てるけれど、馴染むこともできる服です。一見相反するけれど、難しい話ではありません。象徴的なのが黒という色です。あの色は人ごみに溶け込んだかと思えば、くっきりと浮かび上がることも。
ーーパプリックスクールはストリートをラグジュアリーに昇華する手腕が素晴らしいと思います。しかし、それはみなが目指すアプローチです。抜きん出ることができたのは?
マックスウェル:WE DON’T KNOW(笑)。おそらく、ニューヨークにベースをおいているからでは。人種のるつぼであるあの街にはあらゆる価値が等しく存在する。ストリートもラグジュアリーも僕らの目の前で溶け込んでいましたからね。ニューヨークを中心とした、目の行き届くエリアで生産を行っているのもあるかな。
ーーしかしあらためて、ユニークなブランド名ですね。
ダオイー:僕らは公立校で育ちました。学生生活を通したニューヨークが僕らの世界だったのです。
【パブリックスクール プロフィール】
2008年にダオイー・チョウとマックスウェル・オスボーンがニューヨークで設立。14年にCFDA ファッション アワードのメンズウェア・デザイナー・オブ・ザ・イヤー受賞。15年にオーストラリアに本社を置くザ・ウールマーク・カンパニー(The Woolmark Company) が主催する若手デザイナー育成プロジェクト、インターナショナル・ウールマーク・プライズ(IWP)のメンズウェア部門グランプリを獲得。この優勝を記念したカプセルコレクションをイセタンメンズ限定で展開する。11月に伊勢丹新宿店メンズ館で開催されたポップアップイベントには、デザイナーのダオイー・チョウとマックスウェル・オスボーンが来店し、彼らのクリエーションリソースとなるヒップホップのDJパフォーマンスを店頭で行った。