織物の美の象徴として日本が誇る絹。繭が生み出す唯一無二の風合いを持つ絹には、どれほど幾多の生産者の想いが紡がれているのだろうか?養蚕から製糸、製織まですべて国産にこだわったある絹ブランド「三煌」の誕生秘話とともに迫る。
■太古の昔から受け継いだ蚕糸技術、最盛期には輸出の7割が生糸
明治時代から昭和40年代にかけて、生糸(繭を繰糸した状態の絹糸)が日本を代表する輸出品のひとつだったことはご存じだろうか?
日本への養蚕技術が伝来したのは、およそ紀元前200年。稲作とともに中国から伝わったとされている。養蚕、繰糸(そうし*糸をつむぐこと)や撚糸(ねんし*糸によりをかけること)などの蚕糸技術を独自に発展させて、時を超えて受け継ぎ向上させてきた。そして明治時代には、国策として生糸を大量生産し輸出することで莫大な外貨を稼ぎだした。生糸は、日本を近代化へと推し進める糧であり、最盛期には輸出品の7割を占めた時期もあるほど、諸外国における日本製生糸の評価は高いものだった。しかし昭和40年代、ナイロンを始めとする化学繊維の誕生により、日本の蚕糸業(養蚕・製糸)は衰退の一途をたどる。養蚕農家や製糸工場とともに、その生糸生産量も急激に減少していった……。
■日本の絹を次代へつなぎ、世界に誇る絹織物を作る三煌物語
現在、国内産の絹のシェアは、日本で消費される絹量の1%にも満たない。そんな中、養蚕から製糸、製織まですべて国産にこだわった絹作りを、という思いで生まれた国産絹ブランドが「三煌(さんこう)」だ。
平成17年、「日本の絹を次代へつなぎ、世界に誇れる絹織物を作る」ために、三煌プロジェクトがはじまった。品のある光沢を持ちしなやかな質感の絹作りを目指し、蚕業技術研究所の研究者の協力を得て、蚕の品種改良を繰り返す日々。日本産の蚕種を交配させて、細くしなやかな糸を作る三煌の蚕を誕生させるまでには、20年を越える長い歳月が必要だったそうだ。
■品種改良した蚕種は飼育会社、契約農家で大切に飼育
蚕は、脱皮を繰り返して大きくなり、4度目の脱皮後に繭作りを始める。最初の脱皮を行うまでの期間を1齢といい、5齢になり繭づくりをする。蚕は暑さ寒さ、また病気に弱い繊細な生き物であり、飼育にはとても手間がかかる。また3齢(3回目の脱皮)までは、特に感染予防や温度調節に気を使う必要がある。三煌の蚕は、3齢までの飼育管理は専門の高原社という会社で行っている。その後、水や土壌がよく、良質な桑がとれる長野県・伊那市の養蚕農家に手にゆだねると言う。愛情をもって大切に飼育された三煌の蚕から質の高い繭玉がつくりあげられていくのだ。
後編に続く。