指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan)は1908年4月5日生まれ。オーストリア共和国・ザルツブルグ出身。1989年7月16日逝去。
3歳の頃からピアノを習い始め、7歳でモーツァルテウム音楽院で教育を受ける。18歳でウィーン音楽アカデミーに入学し、ピアノ奏者から指揮者へ転向。卒業後は、ウルム市立歌劇場の指揮者として迎えられる。35年にはアーヘン市の音楽総監督に就任したが、その条件としてナチス党に入党したことが、生涯にわたって非難の対象となった。
55年、前年に急逝したフルトヴェングラーの代役としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のアメリカ・ツアーに同行し、そのまま同オーケストラの4代目芸術監督・常任指揮者に就任。以降30年以上にわたって同楽団を指揮、また1956年にはウィーン国立歌劇場の芸術監督に就任、他にミラノ・スカラ座のドイツ・オペラ部門監督、フィルハーモニア管弦楽団やウィーン交響楽団の指揮、ウィーン楽友協会合唱団の終身芸術監督となった。
82年、クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーの入団を巡るトラブルをきっかけとして、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との関係が悪化し、89年に芸術監督・常任指揮者を辞任。同年7月に81歳で死去した。
派手かつロマンティックな演奏を行った。楽団員のボウイング(弦楽器の弓の動作)をそろわせるなど見た目にもこだわった。自身の生活も豪奢を極め、自家用ジェットでの移動の他、ベンツ、フェラーリ、ロールスローイスなど高級車を所有していた。