【日本モード誌クロニクル:横井由利】VOGUEはVOGUE。ヴォーグコード2--3/12後編

2014.02.15

「すべては、VOGUE is VOGUE という言葉に集約されています。日経コンデナスト設立当初から、他社の雑誌と比較するのではなく独自の道をいくという、VOGUEコードが存在していたのです」。それは各国VOGUEの共通認識であり、確固としたプライドでもあると、会社設立時に3人目の社員となった、現社長の北田淳は言う。創刊までに2年を費やしたのもそういう理由によるものだった。

他社のやり方と大きく違ったことは、ニューヨークミラノパリコレクション取材だった。ヴォーグ以前は、新聞系は各紙記者1名が取材にあたり、モード誌でさえ編集長とファッションディレクターの2名体制が多く、編集部から1名が代表取材したり、現地のコレスポンデントに任せる編集部もあった。その他はフリーのジャーナリストやスタイリストが個別に取材に出掛けていた。ところがヴォーグ編集部は、編集長始め6・7名の編集部員が現地に赴く。1誌で他社の3・4倍のショーチケットをリクエストし、ブランドPR担当者はシーティング(席の確保)に頭を悩ませることになった。

ヴォーグの編集部員が現地へ大挙するのはそれなりの理由があった。コレクションには各国VOGUEの編集者が集まり、フォトグラファー、スタイリスト、ヘア&メイクモデルなどに関する情報交換が行われる。フォトグラファーは、新しいコレクションのムードを捉えるためにショー会場に足を運ぶ。コレクションが終了すると、現地で編集会議が開かれ半期分のファッションテーマの作成と、スタッフィングにかかる。コレクション中のキールックは、プライオリティーNo.1としてキープ(貸し出し予約)し、撮影の準備が始まる。どこよりも早く時代の空気を伝えるモードを美しいビジュアルで読者に提案する、それがヴォーグの生命線でもあるからだ。

米VOGUEの編集長アナ・ウィンターをモデルにしたといわれる、映画プラダを着た悪魔』では、多少オーバーな表現があるにしても、編集部員のルックスの問題やフォトグラファーの囲い込み、しかも同じテーマを複数のフォトグラファーに与えて競わせ、採用されたもの以外はキル(ボツ)する。編集長や主要な編集スタッフは、フロントロー(ショーの最前列席)以外座ってはならない。細かいルールは枚挙に暇がない。

更に、業界を驚かせたのが広告料金だ。VOGUEの場合、他誌の1.5から2倍の料金で、一切値引きをしないというのだ。どのブランドがその条件をクリアーするのか、各誌の広告担当者は戦々恐々だった。シャネルは、新創刊誌の場合、様子を見るために1年間出稿を控えるのがルールとなっているが、異例中の異例でウォッチジュエリー部門の広告が入っていた。

『ヴォーグ ニッポン』は、日におけるモード誌のあり方を、根底から覆すことになった。編集長は、いい雑誌を作るのは当たり前で、プラス営業センスを必要とされるようになった。ミラノ、パリコレクションへ出張する目的の一つは、本社CEOと仲良く会食をし、次のシーズンの出稿プランやイベント予定をいち早くゲットするためでもあり、コレクション期間中は激しい情報戦が繰り広げられるのだ。ショーが終わるとバックステージに駆け込み、成功のお祝いを言いながら編集長がデザイナーにハグする光景も目にするようになった。どれもVOGUE以前には無かったことだ。

4/12に続く
Yuri Yokoi
  • ランウエイショーを見るUS VOGUEの編集長アナ・ウィンター(中央)
  • 『ヴォーグで見たヴォーグ』(グレース・ミラベラ著/実川元子訳、文春文庫)
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