VOGUEには、メディアとしての役割に加え、ファッション産業のリーダーとして社会的な貢献やアクションを起こすべしというDNAが組み込まれている。古くは、第一次世界大戦の戦時下、チャリティーファッションショーを開きファッション界に活力を与えたという歴史がある。
リーマンショック後、コンデナスト・インターナショナルの会長、ジョナサン・ニューハウスと米VOGUEの編集長アナ・ウィンターの呼び掛けで、世界中のVOGUE編集長がパリコレに招集された。VOGUEの長い歴史の中で、各国編集長がミーティングのために一同に会するのは、初めてのこと。テーマは「リーマンショックで、低迷するファッション界が元気になるには何をすべきか」だった。結局、アナ・ウィンターが提案した、「Fashion’s Night Out(ファッションズ・ナイト・アウト、以下FNO)」を、ほぼ同時期にVOGUEを出版する各国で、開くことに決定した。
リーマンショックから、わずが3年後の2011年日本では、東日本大震災が起きた。日本経済がダメージを受けたと知ると、世界中のVOGUE編集長が東京に集結して「FNO」を盛り上げた。その模様は、TVの報道番組でも取り上げられた。
「経済危機がなかったら、FNOはなかったかもしれません。それはVOGUEの新しい時代が始まった瞬間かもしれないのです。こうした時代に編集長として活動できて良よかったと思います」と、渡辺編集長は語った。
アナ・ウィンターは、VOGUE Foundation(ヴォーグ財団)を設立し、CFDA(米国ファッション協議会)で、新人デザイナーを支援している。また2012年には、16歳未満のモデルや摂食障害を抱えたモデルを起用しないといった内容の「ザ・ヘルス・イニシアティブ」を立ち上げ、世界中のVOGUEが同時期に誌面やwebを通じて、この活動を宣言し、推進すると表明した。
2013年12月、コンデナスト・ジャパンは、メディアカンファレンスを開き、多様化する読者の情報接触シーンに合わせて、プリント(雑誌)、web、アプリ、SNS、VIDEO、イベント、Cafe(国立新美術館内)、他業種とのコラボレーション(Eコマースも含む)をインテグレーション(統合)する「マルチプラットフォーム」という構想を発表した。このことにより、編集者は、すべてのプラットフォームと何かしらのかかわりを持つことで、仕事が豊かにマルチに広がっていくと、渡辺編集長は言う。
2013年にヴォーグ編集部は、すでにプリントとwebの編集者の机が並び、情報を共有し、コンテンツは、すべてのプラットフォームで編集者が考えることになった。それに伴い、編集長の仕事の幅も広がり、VOGUEと名のつくすべてのクリエーションの責任を負うことになった。雑誌とwebは言うまでもなく、イベント、アプリ、プロダクツ、他業種とのコラボによって新しく生まれるものすべてだ。「ヴォーグ的価値とクオリティーがそろってVOGUEとなります。それをベースに、インテグレーションにおいても、他誌をリードしていくことを目指します。広告営業もまた、マルチプラットフォームの発想にシフトしました」とは、渡辺編集長の言葉。
「コンデナスト・ジャパンは、最早出版社の域を超えたマルチメディアカンパニーとなり、新しい時代を築いているのです」と、北田社長が結んだ。
7/12に続く。次は『ヌメロ・トウキョウ』。