1996年の末、ファッション・出版業界、広告代理店の間で、ヴォーグがいよいよ日本に上陸するらしいとの噂が流れた。アメリカを本拠地とするコンデナスト社の雑誌の中では、1993年にGQ(メンズ誌)が中央公論社(現中央公論新社)より創刊していたにもかかわらず、コンデナスト社で最もネームバリューのあるヴォーグ日本版がないのは、契約金が高すぎるからなどと噂ばかりが先行していた。アジア地区では、すでに韓国版、台湾版が1996年に創刊していたから、なおさらのことだった。
1997年5月13日、米国・コンデナスト社と日本経済新聞社が合弁会社「日経コンデナスト」を設立したとのニュースがリリースされた。この2社の提携をコーディネートしたのは、フランス人のフランソワーズ・モレシャンだった。コンデナスト社が、日本経済新聞社をパートナーに選んだ理由の一つは、新聞の販売ルートを通じて固定読者を確保できることだった。
タイトルは「ヴォーグ ニッポン」。通常なら「ヴォーグ ジャパン」とするところを、あえてニッポンと表現することで、これまでのライセンスマガジンとは一線を画し、世界にインパクトを与える効果を狙ってのことだった。
プレスリリースによると、『ヴォーグ ニッポン』の創刊は1998年2月を予定。発行部数は15万から20万部。定価780円。読者内容は、年齢を問わず美しくなりたいと願う女性のためのハイクオリティーな総合女性誌と設定されていた。編集長は日本人の中から選考中で、美しいビジュアルを再現できるAD(アートディレクター)は正社員として登用するなどの覚え書きもあった。
編集長は日本人の中から?当たり前のことを、わざわざ記すのか疑問に思った。海外版のVOGUEの場合、編集長は国境を越え活躍するエディターの中から選ばれることもよくあった。しかも、ELLEやHarper's Bazaarなどで名を馳せたものは有力視される。現在米VOGUEの編集長、アナ・ウィンターは、イギリス国籍で、Harper's Bazaarのエディターも経験している 。そこを、あえて日本人にこだわったのは、西洋と東洋の文化の違いは否めなく、日本人の感性をよく知り、出版事情に詳しく、雑誌のテイストにおいても微妙な舵取りやさじ加減ができる有能な人物でなければいけなかったからだ。
また、欧米のADは、誌面作りにおいては編集長と同等の発言権を持っている。それに比べると日本では編集長の意見が最優先され、ADは、編集長の意見を取り入れながら、より見栄えのいいデザインに仕上げていく場合が多い。インハウスのデザイナーとはいえ、デザイン事務所を構えるデザイナーが、出向している場合が多く、それを正社員のADとデザインチームを結成するという。これまでとは違う欧米スタイルの編集システムを強く打ち出した。
1年足らずで創刊する「ヴォーグ ニッポン」を待ち望んでいた。ところが、創刊予定と発表された1998年の2月になってもその気配はなく、何度目のテストシューティングをしているとか、テストシューティングなのに海外撮影を行っているとか、創刊を前に既に数億の経費を使っているなどなど、ヴォーグの噂が聞こえてくるばかりで実態はベールに包まれていた。
2/12に続く。