石川栄子、塚本香が彩りを添えた『フィガロジャポン』--9/11【日本モード誌クロニクル第3部:横井由利】

2015.03.24

創刊5周年を迎えた1995年5月号(3月20日発売)で「ローマの休日旅行。」の特集を組み、279ページ・850円の定価をつけた。隔週刊となった5月5日号(4月20日発売)では、157ページ・480円の定価とし、今までの読者に値ごろ感を与える企業努力の姿勢を示した。隔週刊化という荒技を乗り越えた『フィガロジャポン』は、スタイルの完成と安定期を迎えた。

1997年蝦名総編集長のもと長年編集長代理を務めた石川栄子氏が編集長に就任、極端なブランド・ブームが去った後は、モードに特化せず「おしゃれ」に装い、美味しいものを食し、ウイットに富んだインテリア、もちろんは人生のスパイスとでもいうかのように異国の文化を紹介する、ライフスタイル型の編集方針を打ち出した。

次なる変化は、『フィガロジャポン』(他に『ニューズウィーク日版』『Pen』など)を出版するTBSブリタニカと阪急電鉄創遊事業本部コミュニケーション事業部が事業統合した阪急コミュニケーションズが版元になったことだ。

TBSブリタニカ当時のオフィスはそのまま使用、スタッフもほぼそのまま、会社名が変わっただけのマイナーチェンジだった。モード誌は版元が変わることはよくある話で、その度に経営方針変わり、スタッフも一掃される。ところが、阪急コミュニケーションズはそうすることなく『フィガロ ジャポン』が培ってきたスタイルを受け入れたのだ。この措置は新しくやって来た発行人、編集人の『フィガロ ジャポン』に対するリスペクトの念が感じられた。

雑誌がスタイルを持ち、継続していくためには時代にあった編集方針を打ち出していく必要がある。モードの世界でもクリスチャン・ディオール亡き後、イヴ・サンローラン、マルク・ボアン、ジャン=フランコ・フェレ、ジョン・ガリアーノ、ラフ・シモンズと5人のデザイナーがメゾンを引き継ぎ、ブランドを輝かせている。編集長も同じような役割を担っているのだ。

『フィガロジャポン』の創刊の頃からスタッフの一員だった塚本香氏が、ヴォーグのモードディレクターを退任し、2003年12月5日号から編集長として古巣に戻って来た。特集は「モードな前髪に変えよう。」だ。ヘアスタイリストから「前髪を作る」というフレーズをよく聞くことがある。

前髪は作りによって表情を変え、その人の人格さえ表すこともある。前髪を切り口にファッションコレクションスナップメイクとの関係、セレブの前髪、広告写真にまで言及した。それまでの『フィガロジャポン』とは違うテーマへのアプローチが、塚本流を感じさせた。基本的なアウトラインは変えずに、特集テーマの選び方やモードの視点に独自性を感じさせた。ライフスタイル中心から最もモード寄りになった時期ではないかと思う。

また、着物は日本独自のモードと言わんばかりに、05年12月5日号で、スタイリストの原由美子氏監修のもと初心者にもわかるような「私たちのきもの事始。」と題した着物特集が組まれた。日本の着物文化は海外のモードと引けを取らないことを若い読者にも知って欲しいという意図がうかがえた。以後、着物は『フィガロジャポン』の定番となり、京都金沢特集では日本人トップモデルが着物姿でナビゲートし、日本の文化の奥深さを伝えようとしている。きもの企画は今でも本誌の原氏連載コラム「きもの暦」とウェブ(column.madamefigaro.jp/fashion/kimono/)で、原氏の連載コラムに引き継がれている。

10/11--現編集長・西村緑の体制へに続く。
Yuri Yokoi
  • 塚本香編集長就任となった『フィガロジャポン』2013年12月5日号
  • 『フィガロジャポン』2005年4月5日号。特集は、「フィガロだけの限定品、夢のオークション開催!」と塚本編集長在任時は独自のモード視点が光る
  • スタイリスト・原由美子によるウェブ連載着物コラム
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