屋外広告やイベント会場などで使われる告知用のフラッグなどの資材を使って、バッグやポーチへとリ・デザイン(再生)するクリエーティブチーム「セミ(蝉 semi)」。
6月26日から7月2日まで、伊勢丹新宿店で彼らにフォーカスしたポップアップイベントが開催されている。チームを立ち上げた経緯からこれからの展望について、メンバーの石川大輔と鎌田慎也に話を聞いた。
——まず、お2人のキャリアを教えてください。
石川:吉田カバン、イケア(IKEA)で働いて、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科に入学した。そこで鎌田、鹿毛雄一郎と出会った。できたばかりの大学院で、3人とも2009年入学の2期生。
鎌田:僕は卒業後、クリエーティブエージェンシーに就職。鹿毛も、平日はウェブのインタラクティブデザインの仕事をしていて、2人とも休日を「蝉 semi」の活動に当てている。
——「蝉 semi」が結成されたときの経緯は?
石川:大学院に入学した年の秋、六本木振興組合の方と地域活性のために何かを始めよう、と僕が2人に声を掛けてスタート。
鎌田:組合の事務所に行くと、イベント時に街に掲出していたフラッグが転がっていて。「どうせ捨てるんだったら」ということで持ち帰り、大学院にあったミシンとレーザーカッターで試しにペンケースなどを作ってみると予想以上に良いものができた。
そのフラッグは元々、一般公募のコンペで入賞した130人の作品をデザインしたもの。入選したデザイナーに向けて特設サイトをアップし、鞄を作って販売したところ、非常に反応がよかったので、「続けたら面白いかも」というのが始まり。
——それからはどんな活動を?
石川:その秋の東京デザイナーズウィークのテーマが「環境」だったので、コンセプトも合っているし、面白い、ということで出展した。余っていた素材でカードケースのサンプル数点とケーススタディーを展示。「蝉 semi」という名前をその時につけた。
鎌田:東京デザイナーズウィークの会場にも当然、飾られているフラッグやポスターが大量にあって。尋ねてみるとやはり1週間で廃棄するということなので、「じゃあください!」と。今でこそ、使い切れないほどの素材を抱えているが、それも今年になってからで、2011年の半ば頃まではさまざまなイベント会場を回り、交渉しては断られ、の連続だった。
石川:分かってもらうには、いいものを作るしかない。それから、もの作りに対してこだわりが強くなった。「プロダクトファースト」は僕らが一番大事にしているところ。
——「蝉 semi」という名前の由来は?
鎌田:「デザインの寿命を長くする」というのが僕らのコンセプト。たとえば広告などは、制作期間が3ヶ月や半年と長い時間を掛けるけれど、世に出てからは1週間とか2週間で消えてしまう。それが蝉の一生と似ている。また、最初から海外での展開も視野にあって、「セミ」という発音は日本語でも英語でも覚えられやすいだろう、と。「蝉 semi」という風に漢字とローマ字を並べた表記もそれが狙い。
——伊勢丹のポップアップショップのコンセプトは?
石川:「街を“持つ”」。要は、街に飾ってあったものを身につける。今回、3月の伊勢丹のグランドオープンの際のフラッグをバッグにした。フラッグは全部で44本あり、それぞれのバッグに、どの場所で飾られていたものかがわかるように、シリアルナンバーを刻印している。
鎌田:会場では、ビフォー・アフターが一目でわかるようなビジュアルを展示している。また、もともとの広告素材からバッグへと姿を変える、製作工程一連の裏側をまとめたストーリームービーも制作した。
——リユースプロダクトにトラックの幌を使ってバッグを作っている「フライターグ(FREITAG)」があるが?
石川:自分たちが「蝉 semi」を始めた当時はあまり意識していなかったが、先人の辿った道だと思い調べたら、兄弟2人がお風呂場で幌(ほろ)を洗って裁断して製作し、橋の上で友達と展示販売を始めた、とあった。そのエピソードはすごく共感ができてリスペクトしている。ただ、「フライターグ」は経年使用した素材にマッチするざっくりとした風合いが特徴だが、僕らは比較的使用期間の短い素材を使って、細かい縫製やデザインにフォーカスしている。どちらがいい悪いではなくて、お互い違うそれぞれのアプローチをとっているのではないかと思う。
——これからどんな風に活動を?
鎌田:自分たちの目の行き届く状態で拡大していくことが大事だと思う。一気に拡大したら一気に消費される、クオリティーもコンセプトも自分たちの手から離れてしまう。それは美しくないし、「デザインの寿命を長くする」と言っているくらいなので、10年で終わったら意味がないと思っている。
石川:楽しみながら製作しているので、常にそれを共有していたい。効率も悪いし、外から見たら馬鹿みたいなことをやっていると思われるかもしれないけれど、確かなことをしている、という実感だけはある。