写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)は1908年8月22日。2004年8月3日逝去。フランス・セーヌ=エ=マルヌ県シャントルー出身。
シュルレアリズムなどの絵画に興味を持ったのがきっかけで、15歳頃から画家を志すようになった。パリで彫刻家のアンドレ・ロート(Andre Lhote)に学んだ後、マン・レイの写真作品に影響を受け1931年からアメリカで本格的に写真を撮り始めた。その後、小型カメラ「ライカ」で撮影したスナップショットが注目され、33年にはニューヨークのジュリアン・レヴィ・ギャラリーで初の個展を開催。30年代後半には映画監督ジャン・ルノワール(Jean Renoir)の助手を務めるなど、映画制作にも取り組んだ。
40年の大戦では捕虜となるが、43年に3度目の試みで脱走に成功し、その後は囚人や脱走兵を支援する地下組織に加わった。47年には、ロバート・キャパ(Robert Capa)、ジョージ・ロジャー(George Rodger)、デビッド・シム・シーモア(David Chim Seymour)、ウィリアム・ヴァンディヴァート(William Vandivert)と共に、写真家グループ「マグナム・フォト」を設立。その後3年間にわたり東洋を取材した後、1952年にヨーロッパに戻り、初の写真集となる『決定的瞬間』を出版した。
70年以降は写真家としての活動を減らし、デッサンや油絵に力を注ぎ始めた。2003年には、自身の作品の管理を目的とした「アンリ・カルティエ=ブレッソン財団」を妻と娘とともにパリで設立。04年フランス南部の自宅で死去した。