2014年6月、群馬県富岡市にある富岡製糸場は、ユネスコの世界文化遺産として登録された。富岡製糸場とは、明治時代を迎えた日本が輸出品の要であった生糸の品質改良と大量生産を目指して建てた初の器械製糸工場。殖産興業を推進するために国が建てた産業施設だ。風光明美な自然のなかに佇む煉瓦造りの美しい建物という印象はあるものの、他の世界遺産である寺院や城郭と比較すると、なぜ富岡製糸場が世界遺産に選ばれたのだろうかという疑問がわいてくる。そこで世界遺産・富岡製糸場をめぐる旅に出掛けることにした。
織物に限らず化粧品や食品に、シルクうどんやシルクそばまで
東京から長野新幹線で高崎駅まで、高崎からは上州電鉄を乗り継ぎ上州富岡駅で降りる。駅から15分ほど歩くと富岡製糸場だ。製糸場前は、食事処やカフェ、お土産屋などの商店が軒を連ねている。シルクそばやシルクソフトクリームといった看板も目に入る。案内いただいた富岡市シルクブランド係・長谷川直純さんによれば「最近は、絹織物だけではなく、シルクタンパク成分を配合した食べ物や化粧品も増えましたね。富岡では、シルクそばやシルクうどんの店もありますよ」と教えてくれた。しかし平日だというのに人出が多い。世界遺産に登録される前と比べると、多い日で3倍以上の入場者数になっているとか。
製糸場の条件に適した町、そして設計者の故郷に似ていたとも!?
そもそも製糸場がどうして富岡市に建てられたのか?工場造ることに決めた明治政府は、まずは建設のための指導者としてフランス人の技術者ポール・ブリュナを雇い入れる。ブリュナは「養蚕が盛んで原料の繭が確保しやすいこと、工場用の広い敷地や製糸に必要な水が確保できること、外国人指導の工場建設への住民賛同が得られること、燃料の石炭が近くで獲れること」を条件に、いくつかの候補地を調査する。その条件すべてに当てはまっていた富岡が選ばれたのだが、さらに「製糸場から見える光景が、プリュナ氏の故郷のブール・ド・ペアージュの景色を思わせたことも決め手になったと言われています。私も実際に訪れたのですが、山並みや川の流れがよく似ていましてね」と長谷川さん。今も変わらない稲含山や曲線を描いて流れる鏑川、そんな富岡ならではの自然景観も工場誘致に貢献したのかもしれない。
フランスの智恵と日本の職人技の融合した製糸場
明治3年に建設計画がはじまり、2年後には現在見学コースになっている東繭倉庫や西繭倉庫(外観見学のみ)、そして繰糸場が完成する。建物に使用する煉瓦や瓦は、近郊の町で焼くところからはじめたというのだから、どれほど急ピッチで建設が進められのかがよくわかる。煉瓦や瓦をはじめ、木材、目地に使った漆喰、礎石などはすべて近くの町にて調達。それらメイド・イン・群馬の資材をもってフランス人の智恵と日本の職人技で造られた製糸場だったのだ。
後編に続く。