10月11日は振付家ジェローム・ロビンズの誕生日です

2014.10.11

バレエダンスの振付家で演出家のジェローム・ロビンズ(Jerome Robbins)は1918年10月11日生まれ。アメリカ合衆国・ニューヨーク出身。1998年7月29日逝去。

ロシアから移民したユダヤ系の一家に生まれ育つ。フレッド・アステア(Fred Astaire)に憧れてダンサーを志すが、一家の長男という立場もあり、父は彼が夢を見ることを許さなかった。結局、平凡な道を歩んでいたロビンズだったが、29年に世界恐慌の煽りを受けて実家のコルセット工場の経営が傾くと、ニューヨーク大学を中退することを余儀なくされる。

だが、これによって家族の楔から解き放たれたロビンズは、ダンサーとして生きることを決意。ニューディール政策「連邦演劇プロジェクト」が主催する劇場に振付師として雇われると、40年には「バレエ・シアター」(後のアメリカン・バレエ・シアター)に参加。ソリストとして踊る機会を得ると、44年には振付を担当した『ファンシー・フリー』が大成功を収める。この作品は『オン・ザ・タウン』という名前でブロードウェイでも上映されており、その後『踊る大紐育』として映画化されるなど、ロビンズの出世作となった。

49年にロビンズは「ニューヨーク・シティ・バレエ団」の副芸術監督に就任し、以降は振付師としての活動に専念するようになる。その一方で、活動の拠点をブロードウェイにも広げており、57年には『ウエスト・サイド・ストーリー』の振付を担当。映画化の際には監督を務めており、アカデミー監督賞を受賞している。64年には『屋根の上のバイオリン弾き』でトニー賞を受賞。83年にはニューヨーク・シティ・バレエ団のバレエ・マスターに就任している。

しかし、そんな成功の裏で、かつてアメリカ共産党に入党していた過去が、彼の人生に影を落としていた。53年に非米活動委員会に召還されたロビンズは、公聴会で共産党時代の仲間の名前を告白。これによって委員会の手から逃れることに成功するが、その後も彼はこのことを98年に死亡するまで引きずることになる。
HEW
  • ジェローム・ロビンズが振付を担当した「ファンシー・フリー」
  • ジェローム・ロビンズが振付を担当した「ファンシー・フリー」
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