ミュージシャンのロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)は1943年9月6日生まれ。イングランド・ケンブリッジ出身。
父親はロジャーの姿を見ることなく、第2次世界大戦中にイタリアのアンツィオでドイツ軍を相手に戦死。共産党員だった母親によって育てられ、幼い頃から左翼思想を持つようになる。
67年に結成したロックバンド「ピンク・フロイド(当初はピンク・フロイド・サウンド)」にベーシストとして参加。同年にシングル『アーノルド・レーン』を発表すると、いきなり全英20位のスマッシュヒットを記録。続いて同年リリースのセカンドシングル『シー・エミリー・プレイ』も、全英6位を記録した。
だが、バンドの好調な滑り出しとは裏腹に、作曲を手掛けていたシド・バレット(Syd Barrett)が麻薬中毒となり、遂にはメンバーを脱退。その後、ロジャーが中核メンバーを担うようになると、ピンク・フロイドはより独自性の高い音楽を目指すようになる。すると、70年には『原子心母』、73年には『狂気』と2枚のアルバムで英国チャート1位を記録。特に、ロジャーが全ての作詞を手掛けた『狂気』は全米チャートでも1位を記録し、ピンク・フロイドは世界を代表するプログレッシブバンドとして名が知られるようになる。
また、人間の内側に潜む“狂気”を描くというコンセプトが好評だったこともあり、以降のピンク・フロイドはコンセプトアルバムを主に手掛けるようになる。その中でも有名なのが、79年公開の『ザ・ウォール』だ。このアルバムでは人生の中で感じる鬱屈を壁にたとえ、ついには自らも壁の中に閉じこもってしまった若きロックスターの姿が歌になっている。コンサートライブではステージ前に実際に壁を作り上げるパフォーマンスで観客を圧倒。最終的にはアメリカだけで2,300万枚を売り上げ、世界で最も売れた2枚組アルバムとなった。
しかし、その一方でメンバー間の人間関係には亀裂が入り始めており、84年にロジャーは初のソロアルバム『ヒットハイクの賛否両論』を発表。その翌年にはバンドを脱退し、以降はソロ活動を続けることになる。その中でも92年に発表したアルバム『死滅遊戯』は、湾岸戦争や天安門事件などを題材とした政治色の強い作品に仕上がり、全英8位を記録した。
また、ロジャーはイスラエルのパレスチナ政策を繰り返し非難しており、14年7月にはニール・ヤング(Neil Young)宛に出演を思いとどまらせようと手紙を発送。これを受けてか、ニールはイスラエルでのライブをキャンセルしている。
私生活では3度の離婚を経験しており、12年に映画監督で女優のローリー・ダーニング(Laurie Durning)と結婚。これまでに、モデルとして活躍する長女インディアのほか、2人の息子を儲けている。