杉野芳子は1892年3月2日生まれ。千葉県出身。1978年7月24日逝去。
千葉第一高女卒業後、1914年に渡米しニューヨークで洋裁を学ぶ。留学中に建築家を志しスタンフォード大学生で学んでいた杉野繁一と知り合い結婚。20年に夫婦で帰国した。26年、虎ノ門のビルの一室を借りてドレスメーカー女学院(現ドレスメーカー学院)を開校し、安価で良質な洋服を作る「ドレメ式洋裁」を普及させた。
開校時3人だった生徒数は順調に増加し、そのうち校舎が足りない程人気を集めるようになる。32年、夫と共に杉野学園を創立。35年には日本で初めてファッションショーを開いた。戦時中は学校を閉鎖していたが、戦後、自宅で授業を再開。すぐに多くの生徒が集まり、全国にブランチスクールを持つまでに拡大し、成功を収めた。
50年、杉野学園女子短期大学被服科を開設し学長に就任。同時にファッションデザイナーとしても活動し、国内外に作品を披露した。生前は渡仏する機会が多く、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)らとも親交があったという。ファッションを”新しい芸術の一分野”として捉え、パリのエレガンスを日本に紹介した功績は高く評価されており、59年にはフランス政府から文化功労章・パルム・アカデミーを贈られている。
78年7月24日永眠。著書に『自伝 炎のごとく』がある。