「開化堂」は手作りの茶筒を作り続けて今年で140周年を迎える京都の老舗。文明開化がうたわれた明治時代に、初代がイギリスから輸入されたブリキを使って茶筒を作り始めたのが起源だ。鴨川近くの開化堂店舗には、ブリキ、銅、真鍮の大きさも様々な茶筒が静かに佇む。取材当日も、国内外の顧客が店舗を訪れていた。
お店の裏手にある工房で、6代目・八木隆裕氏と話した。2年前から京都の老舗「GO ON」プロジェクトに参画するにあたり、デンマークのデザインユニット「OeO」のデザイナートーマス・リッケ(Thomas Lykke)からこんな言葉を掛けられたという。
「開化堂は茶筒の蓋部分のシリンダー形状が得意だ。この部分を活かしたピッチャーやトレイを作ってはどうか」という提案だ。その時、自分の代で茶筒以外の物づくりを始めてもよいのだろうかと八木氏の心は揺れたという。その悩みを晴らしてくれたのはシャンパーニュメゾン「クリュッグ(KRUG)」の6代目オリヴィエ・クリュッグだった。
互いに6代目という立場のオリヴィエからの「悩んだ時は初代に聞け」という言葉で、その悩みは晴れた。かつて、英国から輸入されたブリキを使って茶筒を作り始めた初代。その素材に新しい解釈を加えた挑戦を見習い、茶筒の蓋部分を縦に伸ばしたデザインが元となるウォーターピッチャーや、横に広げたデザインが元のトレイの製作に取り掛かったという。八木氏は「どんな時も、開化堂のスタンダードである茶筒に戻ってこられるアイテムかを考える。今は茶筒の技法を活かしたテーブルトップのアイテムを展開しています」という。
そこで八木さんが取り出したのは2本の金槌。一つは、あまりにも長く使われたため、金属部分が半分くらいの大きさにまですり減っている。「これは祖父から譲り受けたものです。自分でどんな金槌が手になじむのか分かるようになるまでは、この祖父の金槌で修行しました」と笑う。
親子で同じ職に就くことが少なくなった現代だが、「どの職人が作ったとしても、その茶筒は開化堂の茶筒でなければならない。だから、親父の言う『ちょっと、固い』の“ちょっと”のニュアンスで、どのくらいの固さなのかを考えながら試行錯誤を繰り返しました。もしかすると、長年一緒に生活してきた家族だからこそ、その言葉のトーンを汲むことができたのかもしれませんね」と、茶筒を作り始めた頃のことを振り返った。
2015年は開化堂にとって創業140年の節目となる。創業以来、全く同じ大きさの茶筒を作りつづけてきた開化堂だが、八木氏には思うところがある。「本当にこの茶筒が、今の人にとってのスタンダードなのかを考えたい。とことん飛んだことに挑戦すると、その反動で基本に揺り戻される振り子のようなものだと思う」と新たな試みに挑む心意気のようだ。
東京オリンピックが開催される2020年のことも気に留めている。「東の都、東京に相反するものとして、西の都京都を訪れる人も多いかと思います。その時に、京都という街がどのようなおもてなしが出来るのか。根っこの部分を伝えながらWelcomeと迎え入れたいですね」
2014年、開化堂の茶筒が英国「ヴィクトリア&アルバート博物館」のパーマメントコレクションとして収蔵された。お茶文化を持つ英国でも、その機能美が讃えられている。ミニマムな美しさに、国境は無い。
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