「クチュールはモードの新しい方向性をリードするべきだ。作品がすぐに理解されず、受け入れられないということもある。これからはコレクションから広告にいたる強い統一したイメージが必要だ。絶対的なカリスマ性だけがそれを可能にする」
byジョン・ガリアーノ(John Galliano)
* 『シュプール(SPUR)』(集英社)2000年9月号「連載偉大なるクチュリエ、もうひとつの物語 第6回クリスチャン・ディオール:取材・文/村上新子」より
1996年7月にディオールはジャン・フランコ・フェレのメゾン引退を発表した。その後継者として選ばれたのはジバンシーのメゾンを2シーズン務めたばかりのジョン・ガリアーノだった。翌年1月に発表された97年春夏コレクションから、ガリアーノの新しいディオールの歴史が始まった。
冒頭の発言は、村上新子さんがこの連載のために、2000年にガリアーノ本人にインタビューしたもので、このコメントの前に「最初の3年間は、当時の顧客を大切にした、売るための服を作った。今、未来のクチュールに舳先を大回転させ始めたところさ」とガリアーノ自身が述懐している。
ディオールのメゾンをやるようになったきっかけも「アルノー夫妻と3人でディナーを取ったとき、“フェレが辞めたディオールをやらせてほしい”と申し出た」という真実も語られている。
「贅沢なホームレス」などとさまざまな論議を呼んだこのときの2000年春夏コレクションに関して「オールド・クチュールはやりたくない。モダンであることがとても重要だ。前進しなくては」と話したというくだりも、その後のガリアーノのコレクションを象徴している。