今年創刊25周年を迎えた『エル・ジャポン(ELLE JAPON)』は、周年を記念して去る6月14日、六本木アカデミーヒルズで、働く女性達を応援するトークイベント「ウーマン・イン・ソサエティ」を開催した。
このイベントには、世界的なビジネスシーンでリーダーシップを発揮する女性達や社会貢献を通して新しい時代を切り開こうとするリーダー達がスピーカーとして登壇し、女性達にメッセージを送った。
このイベントのために、フランス版『ELLE』の編集ディレクター、ヴァレリー・トラニアンが来日するということで、『エル・ジャポン』編集長・塚本香との対談が実現した。女性の社会進出とファッションの関係、これからのメディアのありかたについて、忌憚のない意見が交わされた。
ファッションヘッドライン(以下FH):ファッションと女性の社会進出についてお伺いします。2001年以前と以後でどのように変化したかお話ください。
塚本香編集長(以下K):2001年以降の変化でいうとファッションも職業も選択肢が増え、より自由になったと思います。1990年後半あたりからのプチバブルの頃は、誰もがハイブランドを手に入れようとしたし、実際手に入ったんです。ところが2008年のリーマンショックを境に、(ファッション界ではパラダイムシフトが起こり)世の中が決めた価値ではなく自分が選んだファッションを自由に楽しむようになっていきました。高価なものと手頃なものをミックスするというハイ&ローという言葉が登場したのもその頃でした。
ヴァレリー・トラニアン編集ディレクター(以下V):そうね、まず2000年の頃といえば、ラグジュアリーブランドが大企業になったということかしら。一方では手軽なH&Mやトップショップ(TOPSHOP)といったファストファッションが登場して、ファッションはより民主的になった。これは、女性の選択肢が広がり、市場も広がったことを意味します。
K:ファストファッションについては、ラグジュアリーブランドが発信する、いわゆるトレンドといわれるファッションを楽しめなかった女性達に、そのチャンスを与えたということでは、ファッションに大きく貢献したと言えますね。
V:それに、ファッションを取り巻く環境はインターネットの普及によって21世紀に入ると一変したわね。インターネットを通じて、ファッションアイコンと呼ばれる、ブロガーやスタイルハンター達が、マスメディア以外でも個別に発言するようになったでしょう。それによって女性のスタイルの見え方が変わってきたと思います。
K:そういう意味では、媒体側の意識も変わりましたよ。ELLEの誌面作りも、ファッションアイコンとしてのデザイナーやブランドだけに限らず、ファッションのプロじゃないアイコン=セレブリティと呼ばれる人達がカルチャーや他のジャンルとファッションを結びつけるようになってきたんです。
V:歴史を振り返ると、20世紀のデザイナーやアイコンと言われる人達は、女性のニーズをよく把握していたから成功した。
例えば、ココ・シャネル(Coco Chanel)は、女性達のウエストをコルセットから解放しました。男性の下着として使用されていたジャージーや、男性が狩猟の時に着たツイードを取り入れるという、革命的なファッションを提案しました。
60年代にはイヴ・サンローラン(Yves Saint-Laurent)が、タキシードやサファリジャケットといった男性的なワードローブを女性のものに加え、女性らしくセクシーなファッションを考えつきました。つまり、ファッションと女性の社会進出は密接につながっているのです。ですから、デザイナー達は女性の社会的な立場の変化を常にウォッチしているんだと思います。
K:80年代のパワースーツもそういった現れの一つかもしれませんね。女性が男性と対等に社会進出をしてきた時代、肩パッドの入ったかっちりとしたジャケットは、強い女性を象徴するスタイルでした。
V:現在のプラダ(PRADA)もそうです。ミウッチャの頭の中には、常にある女性のイメージがあります。その女性は、自由で、強さを持つフェミニンな女性です。
K:強いというだけでなく、自由ということがこれからますます重要になってくるような気がします。ファッションも大きな一つの流行で動くのでなく、より多様化しています。その中から自分らしいスタイルを選ぶことができる、生き方も含めて自ら選択することが可能になったのが今という時代ではないでしょうか。
2/4に続く。